2019/03/28

土は国家を語る

私が長い間、研究上こだわってきたことに土があります。中国農村の野菜畑やトウモロコシ畑などへ行くと、まず素手で畑の土を握って、匂いを嗅いで、見つめます。この作業は、日本でも、東南アジアでも、どこへ行っても続けてきました。

私は、土には二つの顔があると考えています。
新鮮かつ栄養分のつまった農産物を育てるための養分の貯蔵庫 としての顔。この顔は農産物にとっては何よりも重要なものであり、農業生産にとっての生命線でもあります。この顔は土の持っている物理的な性格を示しています。

しかしこの顔は、土が生まれながらにして持っている部分と、後で雨や風、雑草や木の葉など、やはり自然による作用で変わった部分、農民や国家など人工的な手が加えられることによって変化した部分とからなります。土地改良や肥料投下などによる方法がそれです。土を機能論的に観たものです。

もう一つの顔は土自身が持っている、土を使っている国家を反映する鏡としての一面で、この顔は土の社会科学的な性格を表すものです。この顔は土が生まれながらにして持っている顔ではなく、農業用の土となってから、土の利用者や国家など、土に直接・間接に関係する者が土壌 養分や水分を付け加えたり削ったりした結果の顔であり、原状から変化していることが多いといえます。

この顔は、土を表象論的に観たものともいえます。
最近これをもとに、「中国における土資本論」を考えています。まだ、これといった成果はできていませんが、こだわってみたいと思っています。

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