2021/10/04

水先物取引、ついに来た水の新しい時代―やがて、空気さえも?―

 ついに、水までも先物商品取引所の投機対象になりました。

去年の127日、初日の取引価格は496ドル/1エーカー・フット。日本人の中に1エーカー・フットとは何のことかを知っている人は少ないと思います。私にもさっぱり分かりません。

欧米の単位は複雑で、日本人は混乱したり大きなミスをおかしたり・・・・・。たとえば麦やトウモロコシの量の単位に「ブッシェル」というのがありますが、大豆、麦、トウモロコシ、それぞれブッシェルを使うのですが、実はそれぞれ、中身が違います。

つまり、大豆1ブッシェルと麦1ブッシェルは、単位の呼び方は同じでも重さが全く違うのです。大豆1キログラムと麦1キログラムは同じですので、分かりやすくていいですよね。

 

さて、水の単位、日本では立方メートル(㎥)やリットル(ℓ)を使いますが、アメリカなどでは、このエーカー・フットという単位を使うのが一般的のようです。調べてみました。高さ1フィート、面積1エーカーの箱のことです。

1フィートは30.48センチ、1エーカーは63.6メートル四方。この箱1杯の水を1エーカー・フットと呼ぶのだそうです。これをリットルに換算すると1,233,482ℓだそうです。さっぱり見当がつきません。大体ですが畔の高さが30センチくらい、面積40アールほどの田んぼを想像するとイメージがわきそうです。

 

ついでに、では、なぜ1エーカー・フットが水価格の単位になったかというと、カリフォルニアの一般世帯が1年間で消費する水の量を平均すると、大体1エーカー・フットなのだそうです。なんだか後付けのような気もしないではありませんが、そういう説明を見つけたのです。

 

さて、水の先物取引を始めたところはナスダック・ベルズ・カリフォルニア・水先物インデックス(NASDAQ VELES CALIFORNIA WATER INDEX FUTURE)というボードです。取引名は分かりやすいH2O

 

初日の価格は496ドル(0.4セント/ℓ)、取引参加者は期待ほどにはいなかったようです。

 

まえから気になっていたこともあり、ナスダックの該当情報に入り込んで、最近の相場を見てみました。

先物ですから限月(将来の決済月数または何か月後の価格を売買するか)が必要ですが、ひと月、ふた月、三月、五月、七月、九月・・・24か月辺りまでとなっておるようです。

 そこで、直近の価格ですが、限月ひと月もの857ドル、2年先もの993ドル、この二つに挟まる期間は、先になるほど上昇するようです。



先物取引の初日のほぼ倍に上昇しています。

 

水は有限な資源であることはどなたも知っています。海には計りきれない量の水があるのに有限、とは理解しがたいことのように聞こえますが、人類が使える水は南極圏と北極圏を除く陸地にある水と雨ですからほぼ固定的です。

 

一方、ウオーター・フットプリントの観点から、コメ1kg生産には3,400ℓ、牛肉1kgには15,500ℓの水が、工業用品も生活用水も負けず劣らずの水が必要ですので、人口が増え、生活レベルが上がると、水は足らなくなることは目に見えています。

 

水にはすでに価格がついています。1立方メートル当たり、生活用水を例にとると、東京は下水道料金抜きで22円(基本料金を除く)、中国は28元(約45円:水道水)です。

両国とも、水価格は上昇傾向にあります。価格には取水・給水・設備費などのコストがかかり、純粋な水価格の比較はできないのですが、上昇傾向にあることは否定できません。

 

おそらく、人類全体にとって、水はますます貴重なものになっていくことでしょう。水の先物取引所の開設はこの点が背景にあります。はたして、人類の水の適正な使用に効果があるのかどうかは不明です。水が、たんなる投機の対象にならないことを願いましょう。

もしそんなことが起きれば、やがて空気さえ、先物取引の材料として上場されないとも限りません。


2021/08/29

中国のコメの早生収穫さえず

 中国のコメの早生品種の収穫が終わりました。1年間のコメの収穫量全体に占める早生品種の割合は10~13%といったところですが、1年間の収穫量の動向を占う指標ともいえるものです。

中国政府の発表によると、2021年の早生品種の収穫量は2802万トン、これだけで日本の1年間のコメ収穫量の4倍くらいにもなる大変な量です。中国の1年間のコメの収穫量はだいたい2億トン強という大きな量になります。


早生品種を栽培しているところは、主に湖南、江西、貴州、四川など南方です。

コメは小麦、トウモロコシと並んで中国では3大穀物の一つ、収穫量は小麦のだいたい1.5倍です。収穫量自体が最大はトウモロコシの2億6千万トンくらいですが、飼料用・加工用が大部分で、日本のスイートコーンのようなものはまだ少ないので生食用は限られます。


さて、そのコメの早生品種なのですが最近、次のようなことになっています。やや注目されますので取り上げました。

1,最近(2015~)、収穫量が低迷。前年を下回ることも頻繁に。

2、コメの作付面積がはっきりとした減少傾向にある。

3,単位面積当たり収穫量が低迷、減少する傾向がはっきりと確認できる。

けっして需要が減っているわけではありません。むしろ増えており、不足を輸入に頼る傾向がはっきりしてきています。

日本のコメのように需要減少で供給が余って困るなどというゼイタクはむかしからありませんでしたが、一時期、自給体制が出来上がった時期もありましたので、それにくらべると、現在は、かなり窮屈な食糧事情を迎えつつあるといえるでしょう。

こうした傾向はコメに限ったことではありませんが、ここではコメに焦点を当てています。


こんな話を中国の人に向かってすると、かならず返ってくることばに、

「いまの中国は食べものに苦労はない。あなたはどこの国の話しをしているのか?」

というのがあります。

不足分は輸入しているのですから、食べものに苦労している実感があろうはずはありません。この点は、中国よりも食べものの輸入依存が強い日本ですら当てはまる

ことです。

 

収穫量の低迷は3種穀物全体に見られる現象なのです。中国の食糧(中国語では「糧食」)には3種穀物の他、大豆、高粱、キビ、アワ、小豆などだけでなく薯類が含まれます。日本では薯類は統計的に別扱いです。

こうした食糧事情の変化が起きていることに対して中国政府は、「非糧化」(コメ作農地などを、大豆や野菜などに転作)、「土壌劣化」、「洪水など気象変動」などをその主な理由としています。

これらに加え、私は農地公有制に限界がきているからだとみています。

中国の農地所有者を誰だとお思いでしょうか????

答えは、無しが正解です。私は、中国の憲法をはじめ、土地や農地に関するあらゆる法律、施行令、条例を読破しましたが、土地も農地も、その所有者がだれか、どこにも書いてありません。 なぜでしょう????

それは体制のなかに、巧みな、そして意図的な背景があるからです。








2021/07/21

海水稲は成功するか?

 稲作の最大の敵の一つは塩分だ。稲の持つこの弱さを克服しようと「発見」され、品種改良を続けているのが、中国の稲の父と言われ、先ごろ亡くなった袁隆平氏率いた青島海水稲研究発展センターだ。

もともと海水稲は1986年、広東海洋大学の陳日勝という研究者が「発見」し、実用化の研究を始めたのが始まりと言われる。これを稲と言えば袁先生、ということになって、研究の権威付けと商品化の道を探り始めた、というのが近いらしい。

海水稲とはどんな稲なのか?文献によると、塩分濃度が0.3%以上でも栽培できる塩分耐性種なのだそうだ。塩分0.3%といってもピンとはこない。

通常、日本ではpH濃度がこの方面の指標だから、塩分0.3%をpHに換算できないかと、あれこれ方法を探してはみたものの、筆者の手には負えないことが分かったので面倒くさいことは止めた。

ならば、ということで海の塩分濃度を調べたら大体、3~3.5%だそうだ。0.3%というと海水を10倍に薄めた程度だから、かなり濃度は高い。海水浴のシーズンになったので海へ行かれる方は、ぜひ、試しに10倍に薄めた海水を適当に飲んでみてください。きっと、みそ汁を薄めたようなものではないかと想像します。

もともと中国全土はpHが高い。つまりアルカリ性の高い農地がほとんどだ。中国とは逆に酸性土壌の多い日本の常識でもpH7.5くらいが限界で、6~7くらいを標準におく土づくりや品種作りをする。

ところが、中国では、いつか、どっかにも書いた記憶があるが8とか8.5とかpHの高い土壌はざらなのだ。

よく日本の農業技術者や農業経験者が中国へ行かれて、農業技術指導面で苦労される話を聞くことがあるが、中国と日本とでは、土壌の重要な性質の一つの尺度が真逆であることが災いすることも大きな理由ではあろう。

さてこの海水稲、試験収量は10アール450キログラムというからまあまあ。味は知らないが、精米色はかなり茶色かかっているようだ(写真)。

できれば、普通のジャポニカ系かインディカ系の白い米がいいに決まっているが、中国なりの事情もあって、新しい銘柄米への成長・発展を願っているというところだと思う。背景には、コメ不足があるであろうが、やがておいしいブランド米誕生の成功を祈りたい。


2021/06/14

中国のゲノム編集食品(含む農畜産物)の発展と立ち遅れる日本

 ゆえあって、中国のゲノム編集食品の開発・研究の現状と今後を調べた。その過程で、日本のゲノム編集食品開発・研究の立ち遅れが際立つことに気づいた。

ゲノム編集技術が遺伝子組み換え技術と本質的に異なることは、世間にだんだんと浸透してきた。遺伝子組み換え食品の安全性にはかなりの疑念を持つ筆者だが、現段階では、ゲノム編集食品の「食品としての危険性」は少ないかゼロ、という見方を持っている。

遺伝子組み換え技術は、例えば豚の遺伝子に鳥の遺伝子を組み込むことだから異生物が生まれる可能性を捨てきれない。ブーブーと鳴きながら羽根をばたつかせて空を飛ぶ豚、コケコッコーと叫びながら丸々と太った丸い鼻をもった鶏、SF漫画が現実になる恐れを抱く消費者もなかにはいるかもしれない。

ゲノム編集技術はこれと異なり、自分の遺伝子の一部を切り取ったり、場所を入れ替えたりするだけなので、豚は豚、鳥は鳥のままで生物学的属性が変わることはない(とされている)。

さあ、そのゲノム編集技術にはZFN、TALEN、CRISPR/CAS9があり(説明は省く)、中国科学院系、中国農業技術院系、大学、民間企業の多数のゲノム編集技術専門の開発・研究機関がしのぎをけずりあっている。

最近は3つの方法のうち最も進んだ技術のCRIPR/CAS9に、開発・研究資源が投入される傾向がある。世界的には、この分野の特許戦争が起きている。

中国がこの分野で成果を出し始めるのは2015年以降だが、特許戦争の準勝者になろうとしているのだ。コメ、小麦、トウモロコシ、大豆、野菜、果物、魚、豚、牛、鳥、羊・・・・品目はなんでもあれだ。

その背景に食料自給率の低下が進んでいるという事実があり、遺伝子組み換え食品の市場性に見切りをつけ、新しいゲノム編集技術分野に賭けようとしているのではないか、と思われる。

最も進んだ技術のCRISPR/CAS9による中国における農業、食品開発・研究成果を調べると、すでに特許申請に至っているものが約500件、うち特許権成立が130件、審査中のものから特許権成立するものが多数見込まれる。

日本では、GABAトマト(血圧を下げる効果ありとされるもの)、おとなしいマグロ、肉厚の鯛などが話題になっているが、日本の大学等の特許権成立件数は多くない。むしろ非常に少ないと言った方がよいくらいだ。

ゲノム編集技術のうちCRISPR/CAS9発案者(投稿論文中、最速で研究成果を発表した者)は昨年のノーベル賞を受賞した。

この分野の特許権の多くを握っているのはアメリカ。その次に多いのが中国、日本はとても中国にはかなわないし、韓国にも後れをとっているともいえる。

中国は、アメリカの特許項目をかいくぐるように隙間を狙い、有効な特許権を幅広く獲得しつつある。このたび、筆者はそのすべてを調べた。

中国の特許には、日本やアメリカにも認められたもの(国際特許)が多数ある。今後も、この勢いはつづくだろう。

対する日本、全部で20周の陸上競技を走っているとして、アメリカに10周遅れとすれば中国には5周遅れている、というのが筆者の感想だ。中国もまもなくゴール、日本はまだ4周も残っている。


2021/05/17

農民の思想の自由とウソ

 なにやら不穏当なニュースが飛び込んできました。

教育・研究の枠組みや内容を国家が規制するのだそうです。そんなことできますか?

現代の世の中をナメテマセンカ?

できないはずですが、やってしまうところに、言いようのない怖さがあります。そして、それにしたがって先頭をきっていく学者が、優秀な等級を手にするのが現実なのですね。


華の国(かのくに)の学者の多くは、知る限りですが優秀です。優秀だけにとどまっていればいいのですが、お利口でもあるのです。どなたか、ガリレオ・ガリレイのような、不器用だけども自説を曲げず生きている華の国の人ご存じありませんか?


ともあれ、心配になることが一つあります。

農民の思想の自由です。農民は、理由あってのことなのですが、もの知らずぶります、都会人がもっている農民イメージどおりに振舞います。

そうすることが、だれからも目を付けられず恨まれず、静かに生きる術だったからです。農民にだって、韜光養晦くらいできるのです。だれかの専売特許ではありません。この点、時に、農民もウソつきになります。

もっと大事なことですが、農民の技能の発達や貧しさの中で最大の幸せを得ようと努力する暮らしに、思想の自由はかかせない。


農民と話してごらんなさい、豊かに実の詰まった、たくさんの面白い話をしてくれますから。なぜかというと、そうした知識や経験がないと、土を耕して、種を植え、農産物の栽培をすることなど、とてもできるものではないからです。

工業の現場は規制とか基準とか杓子定規のことだらけでしょうが、田野の仕事はいっときも休まずダイナミックに変化する自然相手ですから、常にそれらと対話することなしには、仕事が進まない仕組みになっているのです。

思想とは客体と、ときには自分との対話を保障する仕掛けです。農民同士の対話はどんな内容であっても規制してならない、と思います。

当の規制をかけようとするお上の先生に当たる人は、思想とは人間の意識からではなく実社会の物質的なんとか関係から生まれるといったようなことをいった記憶があります(くどくてすいません)。農民は、そのとおりに生きているのです。

ならば、先生のいうことを聞いて、現場の声や思想は、お上の意識によって変えられるようなものではないはずだ、と思っていただきたいものです。


本来、思想に政治思想も社会思想も農業・農民思想もありません。思索の自由、対話の自由が思想の自由そのものだと思うのです。









2021/03/17

食料自給率がさらに気になる

 

食料自給率は国家のあり方に、大きな影響を与える要因の一つだ。

 

まず日本―

日本は先進国の中では、最低、カロリーベースで40%未満という無残な姿をさらして半世紀、国は少しでも上げようとしているようにみえるが、実際の効果は上がっていない。政策が間違っているからである。

需要は余るほどあるのに、供給が追い着かない産業は農業以外にない。需要>供給という図式が工業生産物やサービス業だったとしたら、どの供給業者も寝る間もなく増産に増産を重ねて頑張るに相違ない。

なぜか?いくらでも増産できる仕組みがあるからである。それに対して農業は増産するにも平均年齢が70歳近い人が担い手では、狭い農地をいくら工夫しても限界がある。年齢が高くても、高い技術と意欲と所得があれば農業はできる時代だが、本当に農業は、儲からないようにできているかのようだ。

国民が食べる食料の半分以上を海外に依存することは、日本という国のあり方にどんな影響を与えているだろうか?

一、政府公表の資料をみると分かるが、安全性に疑問符が付きそうな輸入食料がなくならないから国民の健康への影響が懸念される。安心して食べられないということだ。やたら加工をするのは、消費者の不安を隠すには好都合な方法なためでもあろう。

二、農地が消える、田園が消える。農地は耕作放棄地がどこにも広がり、荒野か山林に化けた農地が増えた。北海道や九州、日本の山間部、平地の田舎の農地の買い手はなく、荒れるに任せざるを得ない元農地が無残な姿をさらしている。輸入をやめれば、生き返るだろうに。

三、日本は世界中から食料を輸入しているが、その代金は誰が負担するかと言えば、突き詰めれば消費者だ。2019年の日本の農産物輸入額は6兆6千億円、輸入全体の8%に相当する。農地や水など農業資源が十分にあり、やろうと思えば若い作り手も蘇るし、需要は十分にある。でもなぜ、輸入に頼らなければいけなくなったのか?

こたえは、本当の農業構造改革を農協の反対、政治家の反対、食品工業の反対から怠ってきたからだ。

 

世界で10番目に人口が多い日本、金持ち日本は、自らの農業資源を放棄して海外から農産物を買いあさってきたのだ。

そのために、そして世界の穀物独占企業(穀物メジャー)とグルになった輸出国が、世界の農産物価格が一時的な低下はあっても、長期的には上昇し続ける価格構造に仕立て上げてしまったのだ。

そのあおりを受けた多くの途上国は、食料を買えずに餓死する貧困家庭が、国単位で買うに買えない状況を作り出している。日本が、自分で作っていれば、多くの世界の飢餓をなくすことができたことだろう。日本の貧相な食料自給率は、こうして世界に大迷惑をかけ続けている。日本だけで済む問題ではないのだ。

 

次いで中国―

この国の食料自給率の公式データはないので、推計してみた。その結果、長期的に低下し続け、ついに、直近のデータから推計した2018年の食料自給率はなんと、カロリーベースで80%を割っているのだ。

 

では、上がる見込みはあるか????これは簡単にはいえない。

ただ、いえることは中国にも耕作放棄地は広がっている。農民数も多い。だから、作ろうと思えばできる、といえる。日本農業を似た構図だ。

 

ということは、農業資源に余裕があるかどうかと自給率が上がるかどうかは無関係、ということを示唆する。いえることは、中国にも、時代の変化に即応した、別の次元の特別の施策が必要になっているということだと思う。

 

それはなにか?私はやはり、土地制度の改革だと思う。どうせ、できない相談だろうが。こんなことはわかりきっているつもりだ。だが、研究者の矜持のアカくらいは持っていてもバチは当たるまい。

2021/01/23

<社会主義所有制相対性論>について

 

 中国に行った際に普通の農民と接しているときに感じることだが、自分たちが政治制度上は社会主義といわれる国に住んでいることをどれくらい自覚し、本来の社会主義なるものをどれくらい理解しているのかとなると、ほとんど乏しい。ほとんどの農民にとり、中国の社会主義制度は、実はあまり重要なものではなくなってきているのではあるまいか。

  尋ねると、きまって返ってくる「政府・党のおかげで生活もよくなった」という言葉は、まったく「オウム返し」そのもので、「外人に訊かれたらそう答えておくだけでよい」と教育されているかのようだ。

 筆者はまだチベット、新疆、海南省、広西、貴州省には行ったことがないので、解ったようなあまり大きなことはいえないが、少なくとも、残りの26か27の省・直轄市・自治区の農村で、農民に会った経験からすると、中国の農民は中国の都会人や富裕者層のひとたちが考えるほど無能でもなければモノ知らずでもない。

むしろ、生き方を心得た人間としても、農業人としても優秀な方であると思う。若い頃、中国以外の国、アメリカ、豪州、東南アジア、東西の欧州諸国や日本全国すべての都道府県の農村調査をした経験からいうと、この点は、どこもほぼ同じである。

 生き方を心得ていると思うことは、となり近所との付き合い方、けっして豊かとはいえない生活水準のもとで、生きる喜びを最大にする術を知っているということだ。

農業人としても優秀、という点は、農業に素人な筆者や都会人ではとうてい知り得ないしできないことを身に付けており、それを理解し、日々、技術や技能を発見し更新し、それを全身に上書きする能力の持ち主なのである。

彼らが身に付けている農業技術や技能は、地主や貴族あるいは王族が農民に教え伝えてきたものではない。彼らは、何も知らないのだから教えようもない。みな、あるものは仲間から、あるものは自分の経験と努力からうまれ、改良してきたものだ。

 とくに近代になると、食料調達や分配の社会的安定が支配者にとっても不可欠になり、農業専門の技術研究、教育研修施設などが生まれてくるが、その受け皿たる農民に能力と自覚がなければ無意味なことである。

  中国農民の場合、何千年もの長い期間、農地を自分の所有物としたことがない。いまもそうである。いまではその正当化が、「科学的」というもっともらしい言説でもって、端的に言えば、社会主義なのだから当然だという、非常にざっくりの「思想」が根拠におかれている。

 では社会主義とは何かとなるが、生産手段の私的所有制度の廃止とその中央計画的運用、したがって搾取がない(公平な分配と同じことであるが階級制の止揚)、資源の適正配分、効率、公平な社会参加、自由、民主などがその要諦のはずである。言葉の使い方は教条主義的な論者とは異なるが、中身はそういうことである。

 では、実態はどうであろうか?

農業部門に限定して、いまの中国に照らして確認すると、そこには優れた点と問題点とが併存している。

 1、優れた点

(1)上述した農民自身の努力以外に、品種、基盤整備、栽培・飼養、収穫、保管などの新農業技術開発と普及に、資金、頭脳の国家的集中投資が行われ、多くの国際特許権を獲得しているほどだ。

 (2)灌漑整備や土地利用の大規模化が、国家もしくは地方政府主導により一気に可能。典型的には「基地」と呼ばれる大規模農業団地やビニールハウス農場が各地に誕生した。

その結果、農業参入を行う農外企業が増え、しかも数百、数千ヘクタールの農業経営企業を輩出した。

 (3)政府主導による改良品種の全国的普及、栽培・飼養技術の統一、政府買入価格の設定による農産物市場価格形成制度の一元化が可能になった。

 (4)農産物物流を担う車両の高速道路料金の無料化や軽減など、食料の統一的確保政策。この点は、新型コロナによる農産物物流の滞りや停止に対する強制的な排除やグリーンロードといわれる道路の迅速な確保にも応用された。

 

2、問題点

(1)現在の農地所有は制度的には(集体)集団経済所有制で、定義的には、農民の農地はそこからの借地である。

農地の所有制度なぜこうした制度になっているか、といえば土地は憲法で全人民所有制(公有、国有)とされているからで、なぜそうしたのかといえば、社会主義制度の国だからと、卵と鶏の順番争いのようになる。

 社会主義の指導者であり実権掌握者は党だから、実際は、農地を含む中国のすべての土地は見方を変えれば「党有」とも呼べる。つまり農民は、党から借地をしているともいえる。

 土地所有制度の呼び方はともかく、制度的には公有がよい、と考えた結果、いまのような制度になったわけであるが、人民公社時代に比べれば、いまの家庭請負生産制になって、確かに農業生産力は上がった。農民個々が、自由に農業ができるようになったためで、もし、農地所有が自分のものになれば、さらに意欲と工夫と努力が実り、生産力はこれまでにも増して高まることを示唆する。

 この意味するところは、農民には自由のない、ただ集団農場というだけの農地公有制―新中国ではその典型が人民公社だった―の優位性は一度も実証されたことがなく、むしろ否定されたということである。

 (2)家庭請負責任制という農地制度には、新たに登場してきた地方ボスが、農民から農地を奪い、身勝手な農地の使い方を許す問題を全国規模で起こしているという。形式的には請負農地の権利が別の農民や企業に移転していく過程で起きている問題だが、形式的土地取引の背後に隠れて実態は見えにくい。

 (3)大部分の農民は生活に苦しく、跡継ぎもいない。だから農地を売却したいが、自分が使っている農地には所有権がないのでそれができない。一方、大規模化を進めたい農民は資金の準備はできても、近在の農地が複雑な権利移動関係にあるのが普通で、農地を団地式に集めることができないし、集めた農地はすべて借地のままである。

 (4)農民が集団経済から借りている農地面積は狭く、単純平均で一農家当たり65アール。これでは一家を養うことは到底できない。さりとて豊富で労働条件に恵まれた兼業機会がそうあるわけではなく中途半端だ。そういう意味では、農地は生活を補っている。だからといって、農地制度がこのままでいいとはいえない。

 (5)借地でも安定した経営ができればまだいい。実態は、農地は公有であるという理由から、公共の利益という名目のもと、しばしば強制収用に遭う。しかも補償制度は弱く、補償は農民または農業企業ではなく、農地所有者すなわち集団経済に支払われる仕組みだ。農民はそこから、一定の補償金を受け取るのだが、農産物販売代金の3年間程度を受け取る程度である。まれに、収用された農地に建ったマンションの一室など物的補償を得る場合もあるようだが、農民には習慣がなく住めない。だから売却してしまうが、そのお金はなかなか身に付かないように聞く。

 (6)農民と農地を農村に縛るための戸籍制度(1958年)は農民を一般勤労者から切り離し、製造業やサービス業に正規に、つまり都会生まれの人と同じように従事することを許さない。許しても待遇や社会保障制度では差別を受ける。農地使用権(借地権)は農民でないと持てないので、逆に都市戸籍者には差別になる。

 以上、現在の農地制度の持つ優劣を事例的・断片的に紹介したが、劣位の部分をいかに是正していくのか?

 中国では、農地の所有制度について、批判を受けながらも私有化論が根強く存在する。もちろん農地の私有化だけで問題は片付かない。筆者の近著『中国土地私有化論の研究』でも、この点を論じている。これには、さまざまな反響といおうか批判といおうか、激励といおうか、さまざまなご意見やコメントをいただいているが、まことにありがたいことである。

 ところでいま、筆者が考えているのは<社会主義所有制相対性論>とでも命名しようかという研究課題である。ひとことで紹介すると、中国に関する限り、いまこの国は社会主義制度あるいは共産党支配の状態にあるのだが、それと所有制度は相対的であり、実質的には両者は無関係でよいのではないか、という見方である。

 現に、本来は社会主義と対立・矛盾するはずの市場経済は発展し息づいており中国発展の柱となっている。五カ年計画や毎年の中央一号文件は存在するが、そこにマルクス・レーニン主義に本来的な中央計画経済は存在しないといえるほど微弱だ。

 また、所有に関しても企業そのもの、個人の株式や預金など金融資産、マンションなどの不動産の一部、高級車など物的資産、企業や農民の建物や製造・生産設備、牛や豚など動産の私有化が進み、経済活動の根幹を支えている。資産の大衆所有化は徐々に進んでいる。

これら私有資産の隊列に土地が加わったところで、中国の体制に影響するところはまずないであろう。つまり政治の社会主義や共産党一党支配という実務的制度と所有制度は相対的なものであり、分離してよいと思うのである。社会主義イコール土地公有というのは、観念論に過ぎないともいえる。社会主義の国にも私有制度は成立しうる。

 見方を変えれば、中国の現在の体制はそれほどまでに柔軟で、我々が頭の中で想定してきた正統的な硬い社会主義などではなく、「中国の社会制度」である。これを「中国の特色ある社会主義」と呼ぶのも、もちろん自由である。

2021/01/09

中国米の味と今後の変化

  中国で食べるコメの味はお世辞にも、良いとは言えないと思うのは、日本人だけかもしれません。昔の日本米は日本晴れという品種に代表されるように、味より量、少しでも収量の高いコメが優れた品種とされてきました。

 ところがいまや、日本米はブランド勝負、つまりは味勝負の時代になりました。スーパーで売られているコメはほぼブランド米か、有名な優良品種だけとなりました。

 高いのは新潟県の南魚沼産の無洗米コシヒカリ、無洗米北海道産ななつぼし、山形産のつやひめ、岩手産ひとめぼれなどですが、私は新潟県の岩船産コシヒカリも相当なものだと思います。故郷の近くということもあるかもしれませんが、残念ながら、私の生まれ故郷の中条産はあまり有名ではありません。おいしさにかけては岩船産にも負けてはいないのですが。

 では中国のブランド米にはどんなものがあるでしょうか?

 河南省原陽米、吉林舒欄米、黒竜江省五常米、遼寧省柳林貢米、河南省原陽米、その他いくらでもあります。ただし、ブランド米を全国統一的に規格化し、消費者に対する威厳ある組織によるものではなく、かなり勝手で宣伝的な要素が強いブランド化ですので、公平といえるかどうかは疑問です。 

 もう一つ日本とはちがって、中国米独特の留意が必要な点があります。それは、中国ではコメと一口でいっても、ジャポニカ系(主に東北産の日本米と同系統の単粒種)とインディカ系(タイ米など長粒種)があり、それぞれにブランド化されている点です。消費量はほぼ同量ですが、インディカ産は主に中国の南方産です。輸入量が多いのもこの品種です。

 私は長粒種の香りとさらさら感もスキですが、やはり、ご飯といえば単粒種です。かなりおいしい品種、日本のコシヒカリ系の色つやがよく粘り感がありやや甘みのある品種もありますが、末端価格は1キロ12元~13元、一般米の二倍以上はします。

 ところが、味という点になりますと、日本人独特の好みを基準としますと、やはり、まだまだというところです。では、日本人の好みはガラケー並みかというとそうでもなく、日本で食べたコシヒカリの味は、中国人も、やはりおいしいと喜んでくれます。

 おそらく、中国でも日本のコメのような味を求める動きが急速に進むと思われます。ご飯におかずを乗せたりかけたりすると、コメの味はきえてしまいます。余談ですが、日本の丼物、たとえば牛丼、かき揚げ丼など、汁物が混ざった丼物に使われるコメは古米、古古米が多いと聞きます。コメの味よりも肉とか天ぷらとかの味の方が勝ってしまいますから。高級丼物、たとえばうな重などは、コメもおいしいですよね。なぜかというと、うな重とコメは味のハーモニーを奏でますので、片方がまずいと全体が台無しです。

 中国本来の料理に丼物は多分無いと思いますが、店物ですと、最近は日本風の丼飯は大流行です。習慣的に白いご飯の上におかずを乗せて、両方を混ぜながら香りを嗅ぎながら、箸で喉に送り込む食べ方もありますが・・・・・。

 おいしいコメの味嗜好が広がっていくと、コメのブランド化と価格の多層化は一層進み、おいしいコメを作る農家の所得が上がる日本のようになると、頑張った農家にとっては励みになるに違いありません。

 追伸:『無洗米』は日本の発明ですが、読んで字のごとく洗う面倒のないコメのことくらいはご存じでしょうが、その誕生秘話について、いずれお話ししましょう。


2020/12/07

農民力学とSDGs

  新潟下越地方の稲作農村生まれの私にとって、中国の農村で、気が付けば故郷の風情を探している自分がいることがしばしばです。意識してこまかく観察すればみな違うのですが、風情という感情を軸にすると、似ているところの方が多いように思います。

 

たとえば、一面がたんぼのあぜ道や大きなむらさき色したナスや赤いトマトがぶら下がった夏の日の村はずれの畑に立った時、そこは新潟の農村の風情と変わるところはほとんどありません。土の色、稲穂が揺れるときかすかに発てる葉のこすりあう音、堆肥をまいたと思われるやや萌えるような鼻をつくにおいなどは、小学生のころ通った通学路で毎日のように触れた感覚と同じです。

 

いまの中国の農村の風情にも、新潟平野と似たところがあって、農繁期ともなればトラクターやコンバインが広い農地を轟音を響かせて行く姿があります。

 

そんな風情が好きなこともあり、中国の農村行脚から離れることはできません。また、ときおり見かける農作業をしている農夫や農婦が腰をやや屈めるようにしている姿は、いまも新潟下越の農村で目にすることがしばしばです。そんな共通点もあるからかもしれません。

 

しかし残念なことに、その農村に行く機会がないままはや一年間が経ってしまいました。そこにはほぼ何も変わらない光景があるのでしょうが、農村のちょっとした食堂で食べる農家料理のことも、農家の暮らしも、一人暮らしのおじいちゃん農民の農業現場の様子も、ともかく中国へいかないことには見ることはできません。

                           

新潟というところに住むと、東京のようになることだけが発展で、土着的なことや伝統的なこと、田舎染みた風情やことば(たとえば方言)をさえ消すことが、あるべき姿という感覚があたりまえのようになりがちでした。

小学生のころ、教室や廊下で、先生の口から盛んに発せられた「標準語をしゃべりなさい」という空虚なことばは、いまでも耳についています。そんなことができるわけがありませんでしたし、当の先生が方言を話していました。

たぶん、これと似たことは中国の農村の学校でも起きているのでしょう。

そうしていながら、新潟の農村も中国の農村もやはり少しずつ、巧みに、たくましく変化し発展していることも見逃さないようにしたいと思っています。内面から変わっていく農民の力学の存在が農村の歴史にもなってきました。そうでなければ、農業という職業も農民という社会的存在も、とうの昔に消えていたにちがいありません。

この力学の持続的発展を守るにはどうすべきかを考えてきましたし、これからもそうしたいと思います。これが私個人にとってのSDGs論でもあります。

2020/09/19

『中国農村土地私有化論の研究』 という本を出版します・・・・

 国家統計局によると、今年9月上旬の前年同期比の農産物卸売市場価格はコメ、小麦、トウモロコシ、大豆、落花生とも大幅に上昇したということです。

 コメ4.5%、小麦5.8%、トウモロコシ16.3%、大豆17.9%、落花生15.4%と、穀物ごとには差があるものの、全般的には急上昇中の模様です。

 穀物ではないが、豚肉は30.3%と上昇率は飛びぬけています。

 コメの場合、政府買い入れ価格は前年をやや下回ったにも拘わらず市場価格は上昇したことを見ると、政府にはこのような上昇気配は見えていなかったことになるのではないでしょうか。

 これら農畜産物の市場価格の上昇の背景には、南方の豪雨の停滞、新型コロナウイルスの影響(ベトナム、ミャンマーなどコメ生産国やカザフスタンなど小麦生産国の輸出禁止などの広がり)、中米経済戦争のあおり(大豆・豚肉)を受けた輸入量の減少や国内生産の落ち込み(豚肉は、輸入減少も響いている)など大きな原因が一度に起きていることがあります。

 今年の早稲作付面積が増えた理由として、前回は政府の見方をいくつか挙げました。

確かにこれらはその通りなのですが、実際は、政府が挙げたことすべてではありません。

 私は、政府は農業の今後に深刻な不安を抱き始めたのではないか、と見ています。耕地面積はほとんどの農産物で減少傾向にありますが、その背景には、農民の農業離れといっていい、農民の全般的な農業忌避現象が起きている可能性があることに、政府は漸く気づきつつあるのではないか、と思うのです。

 いま見たように、農産物価格は上昇しており、さぞかし農民も喜んでいることでしょう、

などと思ってはいけません。農民は肥料・農薬・機械作業費などを中心とする生産資材価格の上昇が止まず、他方、中間流通業者からは安い値段で買いたたかれ、手取りはほんとに少ないのです。農民にとって、コメ500グラムの値段は、水500グラムの値段より安いといわれるような事態は完全には消えていません。

 私は日本評論社から、10月に、『中国土地私有化論の研究』と題する著書を上梓します。とても厚くなり、420ページにもなってしまいました。

 

私にとって、一人で書いたこれほど厚い本を出すのは人生初めてのことで、同時に最後のことになるでしょう。実は、これでも文字数は抑えたつもりなのです。以前、出版社で編集作業をして定年で辞めた家人は、人の苦労と気持ちを微塵も理解する様子も見せず「そんなに厚い本、だれも読まないよ」と揶揄していますが、厚くなったものは仕方ありません。日本評論社の編集ご担当者は、実に仔細に見て下さり、文字、言い回し、事実確認、章構成、表紙デザイン、あらゆることに親身に対応して下さいました。

 本のタイトルの通り、この本は、中国農民と土地の関係に焦点を当て、徐々に進むその距離の広がりに歯止めをかけることを念頭に、「コモンズの悲劇(共有地の悲劇)」(ハーディン)を横目でみながら、“土地を農民の手に“をモチーフにした中国土地制度改革論のような性格を与えたものです。

 私の目からみると、中国革命は農地を農民の手に渡すことが大義名分であり、農民が望んだことでことでもあり、それゆえの革命の成功でした。ところが、数年後、その期待は裏切られ、農民の農地は手から離れていったのでした。今日まで、農地は農民の手からますます離れてしまっています。

 化学肥料と強い農薬で土は衰え、本来の生命力を徐々に失い、植物工場の培地、ロック―ルのように固く無味乾燥なものに変わった農地も増えています。この状態はいかにしたら解決できるのでしょうか?

 おまけに、pHが7~8というアルカリ性土壌が多く、もともと易しい農業ではありません。自分の手から離れていく農地、耕作が難しい農地、食料の安定的な確保のためには、土地制度はどうあるべきなのでしょうか?

2020/09/03

中国コメの作柄は不良(早稲・一期米)、習近平の「食べ残し止めよう」発言とリンク

 8月中旬、国家統計局の農村司の李司長が記者会見で述べた内容は、近年にない暗いものでした。

 早稲(わせ)の全国作付面積は475万ヘクタール、日本の水田・畑・果樹園を合わせた耕地面積をはるかに上回る面積です。しかも去年より、約30万ヘクタールも増えました。

 増えた理由として、農民の作付意欲、早稲地帯の地方政府の作付奨励、各種補助金、最低買い入れ価格制度、農民の組織的な生産資材調達の成果、荒れた水田の復活耕作、大型機械や無人田植え機の普及、土地託管制度(銷供合作社等への経営委託)の普及、稲作経営の規模拡大、春先の気温上昇と適度の降水量など、稲作のための好条件がそろったためである点を強調されました。


 ここにはありませんが、別の理由もあるはずです。この点は次回、触れることにしましょう。

 では収穫量はどうだったのでしょうか?収穫量は2,729万トンでした。去年より103万トン増えています。作付面積が30万ヘクタール増えたのですから、収穫量が増えるのは当然なことです。

 しかし問題は、ここから先にあります。実は、10アール当たり収穫量は574.4キログラムでしたが、これは去年より約16キログラム(2.7%)も少ない量なのです。

 早稲の作付をしている主な省は湖南省、江西省、広西自治区、広東省、安徽省、湖北省などですが、春先の天候が6月以降になると一変します。前回書きましたように、長雨と低温をもたらした「魔物前線」が8月に入っても、中国の早稲作地帯に停滞したまま動かなかったことが最大の理由といいます。

 いかに反収が減ったかという点は、今年新たに増加した作付面積約30万ヘクタールが増やした収穫量は103万トンですから、10アール当たり、わずか342キログラムに過ぎなかった点に顕著に表れています。

 では、早稲の後作に田植えをする晩稲(二期米)の作柄予想はどうかを中国農業農村部が随時発表する情報を束ねて判断すると、田植えの時期が平年に比べ、少なくとも1週間ほど遅れているようなのです。その理由も長雨による早稲の収穫時期の遅れ、長雨のために代掻きなどが遅れた水田の修復、その後の天候不良が影響していると見てよいでしょう。

 晩稲の作柄がどうなるのか、今の段階では見通せません。

 8月11日のことです。習近平がいきなり「食べ残し」「作りすぎ」批判発言を行い、世間をびっくりさせた記憶は新しいと思います。「食べ残し」「作りすぎ」は中国の食文化といってもいいくらい日常的なことで、中国の食とフトコロが豊かになった象徴的な日常でもあります。私はテーブルの隙間が消えるほど料理の皿が並び、食べ残した料理を現場で見るたびにもったいないと思ったものですが、食文化の一部あるいは食習慣だと言われれば納得するしかありません。

 それを習近平がたぶん自己批判も含め、批判したのですから、ただごとではありません。

 背景はなんでしょうか?しらぬまに潜行していた食料不足問題がある、というのが私の見方です。10月に、私は一冊の本を上梓しますが、そこで、自分でも詳し過ぎるほど、詳しく書きました。次回はその本の概要を紹介いたしましょう。

 

2020/07/25

降り止まぬ中国の雨と食料不安



http://www.cma.gov.cn/2011xwzx/2011xqxxw/2011xzytq/202007/t20200725_559242.html



この図は中国気象局が7月25日午前8時44分に発表した26日午前8時~27日午前8時までの24時間の降雨予報図である。最も激しい降雨が予想される地帯は長江と淮河(黄河と長江のほぼ真ん中を流れる中国第三の大河)流域を中心に、ほぼ中国南部全域におよぶ広範囲である。この中に日本列島が2つか3つ、すっぽりと入るほどの広さだ。

これまで、両河川だけでなく黄河を含む多くの河川が危険水域を超え、一部では堤防の人工決壊や自然決壊が起き洪水が発生、三峡ダムは危険水域の170メートル強まで10メートルもないほどの高さに達したという。

 この降雨をもたらしているのは日本の梅雨前線まで一本につながる降雨前線で、これを航空母艦とすると、そのまわりに、いくつもの低気圧が護衛艦のように配置され、さながら大海原をゆく大打撃軍のように大雨を降らす魔物前線に姿を変えて居座っている。中国の降雨帯と日本の降雨帯は前線上でつながっており、この点で、両国は大雨による運命共同体を作ってしまっている。この雨は降雨量の強弱を伴いながらも2ヶ月以上降り続き、この先も予断を許さない。

私は農業気象に興味があることもあり、毎日、かならず一度はどこかのチャンネルのテレビで「気象情報」を聞き、ネットで天気図(気圧配置図)と気象衛星の写真を観ることが習慣になっている。天気図ではある程度の予見は可能であるが、それだけでは大きな限界がある。一方、管見ではあるが、ほんとに知りたいテレビの気象情報は、最近、ほとんど当たらないのが常であるような気がする。気象専門家の名誉のためにも言っておくが、明日は晴れだ・あるいは雨だ、とだれしも思うような天気は当たる。これを加えると、気象専門家の予報的中率はたぶん半分以上となるのではないか、と思う。テレビ出演される気象予報士はとりわけ優秀なのだろうが、「長かった今年の梅雨も〇〇日ころには明けそうです」ということばを、今年は何度聞いたか判らないほど頻繁に耳にした記憶があるが、少なくとも、これまでその通りに当たった試しはない。

かく言っても、べつに気象予報士や気象庁を批判することが今日の目的ではなく、それだけ、今年の天気は地球レベルで大異常だ、ということを言いたいのである。しかし、異常だと片付けてしまっていいのか、かなりの疑問もなくはない。それどころか、これまでの異常が今後の常態または「平年」になる転換点を、地球は迎えているのではないか、とさえ思える事態が地球のホウボウで起きている。

このような事態を迎え、私がもっとも心配する点は、食料確保が大丈夫かどうかという点である。豪雨が襲う中国南部はコメの大産地であり、野菜も豊富に採れるところである。

中国政府は、7月25日時点では、水稲の被災面積と減収量を公表していない。夏小麦については産地がほとんど被災していないこともあり、農業農村部は7月中旬の予想では増収とした。コメについては、なお被災が止まないことから、しばらくは収穫予想を出すことは不可能であろう。すでにコメは輸入依存が強まっていることから、減収となれば今年のコメ価格への影響も予想される。日本産のコメがどうなるか、こちらも不安材料である。