2012/11/17

新指導者層、色分けの無意味

習近平を頂点とする共産党の新指導部、政治局常務委員7人の顔ぶれを、どの新聞も、テレビも学者、評論家もみな、口をそろえて、7人の「派」をいかにも重大そうに扱い、自説を述べている。

いわく、太子党(親の七光り)、上海派閥(江沢民:対日強硬派)、共青団派(胡錦濤:対日少しは柔軟派)。これすべて、日本人基準の分け方である。対日強弱で分けるのが基本となっている。

権力闘争の結果、決まった人事であることは常識である。しかし、対日政策の違いが基準となって決まったわけではない。この辺が見落とされている。別の基準であり、それは、一言では言い尽くすことのできない、魑魅魍魎の世界がうごめきったところで決まったものである。

だから、日本人が好む、派わけは無意味に等しいのである。

つまり、いまの日中関係ならば、だれが総書記になろうが、対日政策は同じなのである。習だから厳しいわけではない。

しかし、徐々に和らいでいくことも必定。中国経済がいかに、日本に依存しているか、少しずつ分かったきたのだ。計画経済を捨てた中国経済、原動力は市場原理です。そこには、効率と質、新しい技術を見分ける鋭利な目が監視役となっているのであり、共産主義の頑固者はやがて退場していく道理があるのである。

2012/11/16

広がる変化のきざし

 中国で、現地のひとと話していて、最近、おやっと思うことがよくある。
それは、農民もそうでない人も、我慢というものがそろそろ限界に近づいてきたのではないか、という感覚である。

 そして、「われわれもばかではないよ」という、喉の底からはじけてきたような言葉。わかっているのである。

 この変化のきざしは、こんご、どうなっていくのだろうか、と思わずにおれない。

今回の共産党政治局常務委員の顔ぶれに、中国の友は、なにか希望を感じ取れただろうか。