世界には1,600種のネズミがいるという。ネズミと言っても「いえネズミ」、「野ネズミ」、「草原ネズミ」など、生態によって異なる。ただ、雑食だが、どちらかというと穀物や植物の根や茎など、それぞれ好みがある点でも共通する。
写真は青海省の三江源近くのネズミとその穴(筆者が、待つこと30分して撮影)。
世界には1,600種のネズミがいるという。ネズミと言っても「いえネズミ」、「野ネズミ」、「草原ネズミ」など、生態によって異なる。ただ、雑食だが、どちらかというと穀物や植物の根や茎など、それぞれ好みがある点でも共通する。
写真は青海省の三江源近くのネズミとその穴(筆者が、待つこと30分して撮影)。
高層養豚とは文字通り、10階建てのほどの高層ビルで行う養豚事業のことだ。2019年、農業農村部が政策化、急速な展開をみせはじめた、世界ではじめての養豚モデルだ。
この養豚事業モデルは、給餌、繁殖、肥育、屠畜、解体、部位分類、精肉、保管、出荷、残滓処理、糞尿処理まで、一貫していることだ。豚の立場に立つと、「揺り籠から墓場まで」、コンクリートのビルの中で生涯を送ることになる。
いま、中国各地で建設が進んでいる(写真:平台小王より)。
しかも、養豚ビル一棟で、年間で出荷する頭数は80万頭、生まれてから100㎏ほどで出荷するが、ここは効率出荷が標準化されているので回転率は年2.5回、だから常時、30万頭弱の飼養頭数となろう。
中国全国の年間平均の飼養頭数(2024年:国家
中国人にとって、回鍋肉や紅焼肉は、この料理を聞いただけでよだれが出てきそうな大好物。その食材が豚肉である。ほんとに、おいしい。
中国では、小規模の繁殖養豚と小規模の肥育豚農家が分離し、新型コロナが流行した2019年、多くの養豚農家が離農または崩壊した。国全体としてもコストが増加、国際協力が低下し、輸入の増加を招き続けた。
国として、豚肉の生産農家の減少と飼料確保の困難、したがってコスト増、疾病対策、畜産公害対策などが急務であり、その対応策として高層養豚が生まれたのである。
課題も多いが、別稿をお楽しみに。
わたしの中国農村あるきの体験で見たもの、食べたもの、触れたもの、嗅いだもの、訊いたものは数知れません。
わたしの中国フィールドワークのモットーは、「五感で臨む」、というもので、農村では、つねに、自身の身体に付随するこれらの「道具」を意識して臨んできました。
そのなかから、かなりザックリのはなしではありますが、このことは、どこの農村でも変わらない感触でした。
それは、
中国の農民は従順で素朴、貧しくとも生きる喜びや幸福のありかを探し求める人生を送っている、というものです。なかには、どこで身につけたか、権力者のまねのようなふるまいをさらす者にも会わなかったわけではありませんが、そういうひとはごく少数のように思います。
そのような農民の世界に土足で侵入する不束者、詐欺を生業とする者の横行が、農村には絶えません。中国でも日本をまねたオレオレ詐欺が世間を騒がせる時代、農村はかっこうの餌食として狙われているようです。
では、詐欺師たちは、どんなことをするのでしょうか?
つまりは、次の違法物資を売り付けたり、違法行為をして金銭を詐取しているのです。
農業経営に不可欠な農業生産資材が、とくに狙われやすい物資です。
●種をまいても芽が出ない種子、
●安全性基準や禁止物質を無視した農薬、
●ぜんぜん効き目のない化学肥料や有機肥料、
●工業規格が無視されたトラクター、耕運機、田植え機、
●家畜用医薬品の偽造。
また、これらも違法に横行しています。これらは詐欺という言葉には当てはまりませんが、社会に対する違法行為であることには変わりありません。
●安全基準を無視した遺伝子組み換え食品、農産物、
●未検査家畜等の移送(中国では、家畜移送が耳標のない大型家畜は禁止、予防接
種のない家畜飼養は禁止)と、移送中の違法薬物の使用や投与。
●無許可屠畜場と死亡家畜の放置。
●家畜飼養業者の違法薬物、たとえば「痩肉精」(家畜の成長促進剤)の販売。
2024年、これらの農村に蔓延する行為を取り締まるうごきが、「緑剣護糧安」法に向けた政府の取り組みです。
「緑剣護糧安」というのは新語です。
「緑」はグリーン、エコ、環境保全などの意味合い。
「剣」は、厳しく、緩むことなくなど、政策にこめた心意気。
「護」はあとにつづく「糧」(食糧)と「安」(安全)すなわち食糧安全を守る。
これらからわたしなりに繫げると、「緑剣護糧安」の意味は「食糧確保を守るためのグリーン政策を厳格に遂行する」というようなことといえるでしょう。
以上は、2024年2月に農業農村部が出した「「緑剣護糧安」法執行行動の実施に関する通知」とか、2025年3月の「2025年の「緑剣護糧安」法の執行に関する通知」などには、その詳細な取組みの趣旨と内容を見ることができます。
中国国家統計局が8月下旬に発表したところによると、2024年の早稲(ワセ)生産量は、
2023年を0.6%、163,000トン下回る28,174,000トンという。
作付面積は47,548,000ヘクタール、2023年を0.5%、217,000ヘクタール上回った。
10アール当たりの生産量は592.5キログラム、2023年を1.0%、6.16キログラム下回
ったという。
結局、全体の作付面積は増えたものの生産量は減ったということになる。このところ、中
国の早稲生産は、作付面積と単収の2つが同時に減少する動きを続けており、その結果と
して輸入が増える反作用も生まれているのだ。
作付面積の減少の理由は2つ。
一つは、このところの干ばつ、大雨による異常気象がもたらす農地被災の拡大である。つまりは、そのために作付面積が途中で減少するのである。中国の統計では、作付面積は田植え面積ではなく、実際に農産物を収穫した面積である。
早稲の主な生産地帯は南方の湖南、江西、広東、広西自治区などなのだが、最近は、田植
えが終わり、田に根が張り出すちょうどその頃に、大雨や洪水が直撃、多くの稲作農家
の首を締め上げているのだ。
二つには、米の作付自体を嫌う農家が増えていると見られること。農家の後継ぎが減り、高齢化が進み、体力と費用のかかるコメ作り農家が減っているのだ。
私はこれまで、何十年間も、中国の方々で遭った農家に「息子に農業を継がせる気があるか?」と尋ねてきた。これは、日本の全国の農家を回っていた時と同じ質問だった。しかし例外なく、中国農民の答えは「継がせない」で一致していた(日本でもほぼ同じ)。
自分の苦労を、率先して子供にも継がせたいと願う親はいない。もうだれも、意に反することを強制できる者や集団の圧力は、中国にも存在しなくなったのだ。
作付面積が減少しただけでなく、単収も減っているのだがその理由も二つ。
一つはやはり異常気象と水田土壌の劣化。異常気象は今後も続くだろうが、一層、深刻なのは、農薬と化学肥料ですっかり変わってしまった水田土壌の改良が、遅々として進まないことだ。各地の水田を歩き、必ずや田の中の土や泥を握って観てきた。
水田土壌は、極端なはなしだが、まるで植物工場の水耕栽培かスポンジ栽培かと思えるくらい殺伐としている。これでは単収は減る一方だろう。
二つには、それでもなお作付面積を多く見積もり過ぎの可能性である。実際の作付面積は、政府の見立てよりも、実際は更に少ない可能性がある。
各地で起きている現象だが、コメを作るといいながら、水田をもっとカネになる野菜栽培やビニール温室、さらには禁止されている商業用地に変える問題も起きている。農地を住宅地に変えるなどの「大棚房」として、大きな問題にもなっている。
こうなると、統計上の作付面積を実際の面積が下回り、こんなはずじゃなったということになりかねない。
新潟下越地方の稲作農村生まれの私にとって、中国の農村で、気が付けば故郷の風情を探している自分がいることがしばしばです。意識してこまかく観察すればみな違うのですが、風情という感情を軸にすると、似ているところの方が多いように思います。
たとえば、一面がたんぼのあぜ道や大きなむらさき色したナスや赤いトマトがぶら下がった夏の日の村はずれの畑に立った時、そこは新潟の農村の風情と変わるところはほとんどありません。土の色、稲穂が揺れるときかすかに発てる葉のこすりあう音、堆肥をまいたと思われるやや萌えるような鼻をつくにおいなどは、小学生のころ通った通学路で毎日のように触れた感覚と同じです。
いまの中国の農村の風情にも、新潟平野と似たところがあって、農繁期ともなればトラクターやコンバインが広い農地を轟音を響かせて行く姿があります。
そんな風情が好きなこともあり、中国の農村行脚から離れることはできません。また、ときおり見かける農作業をしている農夫や農婦が腰をやや屈めるようにしている姿は、いまも新潟下越の農村で目にすることがしばしばです。そんな共通点もあるからかもしれません。
しかし残念なことに、その農村に行く機会がないままはや一年間が経ってしまいました。そこにはほぼ何も変わらない光景があるのでしょうが、農村のちょっとした食堂で食べる農家料理のことも、農家の暮らしも、一人暮らしのおじいちゃん農民の農業現場の様子も、ともかく中国へいかないことには見ることはできません。
新潟というところに住むと、東京のようになることだけが発展で、土着的なことや伝統的なこと、田舎染みた風情やことば(たとえば方言)をさえ消すことが、あるべき姿という感覚があたりまえのようになりがちでした。
小学生のころ、教室や廊下で、先生の口から盛んに発せられた「標準語をしゃべりなさい」という空虚なことばは、いまでも耳についています。そんなことができるわけがありませんでしたし、当の先生が方言を話していました。
たぶん、これと似たことは中国の農村の学校でも起きているのでしょう。
そうしていながら、新潟の農村も中国の農村もやはり少しずつ、巧みに、たくましく変化し発展していることも見逃さないようにしたいと思っています。内面から変わっていく農民の力学の存在が農村の歴史にもなってきました。そうでなければ、農業という職業も農民という社会的存在も、とうの昔に消えていたにちがいありません。
この力学の持続的発展を守るにはどうすべきかを考えてきましたし、これからもそうしたいと思います。これが私個人にとってのSDGs論でもあります。