ラベル 中国農村 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 中国農村 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025/04/15

農村詐欺の横行に効き目はあるのか:「緑剣護糧安」法

 わたしの中国農村あるきの体験で見たもの、食べたもの、触れたもの、嗅いだもの、訊いたものは数知れません。

わたしの中国フィールドワークのモットーは、「五感で臨む」、というもので、農村では、つねに、自身の身体に付随するこれらの「道具」を意識して臨んできました。

そのなかから、かなりザックリのはなしではありますが、このことは、どこの農村でも変わらない感触でした。

それは、

中国の農民は従順で素朴、貧しくとも生きる喜びや幸福のありかを探し求める人生を送っている、というものです。なかには、どこで身につけたか、権力者のまねのようなふるまいをさらす者にも会わなかったわけではありませんが、そういうひとはごく少数のように思います。

そのような農民の世界に土足で侵入する不束者、詐欺を生業とする者の横行が、農村には絶えません。中国でも日本をまねたオレオレ詐欺が世間を騒がせる時代、農村はかっこうの餌食として狙われているようです。

では、詐欺師たちは、どんなことをするのでしょうか?

つまりは、次の違法物資を売り付けたり、違法行為をして金銭を詐取しているのです。

農業経営に不可欠な農業生産資材が、とくに狙われやすい物資です。

●種をまいても芽が出ない種子、

●安全性基準や禁止物質を無視した農薬、

●ぜんぜん効き目のない化学肥料や有機肥料、

●工業規格が無視されたトラクター、耕運機、田植え機、

●家畜用医薬品の偽造。


また、これらも違法に横行しています。これらは詐欺という言葉には当てはまりませんが、社会に対する違法行為であることには変わりありません。

●安全基準を無視した遺伝子組み換え食品、農産物、

●未検査家畜等の移送(中国では、家畜移送が耳標のない大型家畜は禁止、予防接  

 種のない家畜飼養は禁止)と、移送中の違法薬物の使用や投与。

●無許可屠畜場と死亡家畜の放置。

●家畜飼養業者の違法薬物、たとえば「痩肉精」(家畜の成長促進剤)の販売。


2024年、これらの農村に蔓延する行為を取り締まるうごきが、「緑剣護糧安」法に向けた政府の取り組みです。


「緑剣護糧安」というのは新語です。

「緑」はグリーン、エコ、環境保全などの意味合い。

「剣」は、厳しく、緩むことなくなど、政策にこめた心意気。

「護」はあとにつづく「糧」(食糧)と「安」(安全)すなわち食糧安全を守る。


これらからわたしなりに繫げると、「緑剣護糧安」の意味は「食糧確保を守るためのグリーン政策を厳格に遂行する」というようなことといえるでしょう。


以上は、2024年2月に農業農村部が出した「「緑剣護糧安」法執行行動の実施に関する通知」とか、2025年3月の「2025年の「緑剣護糧安」法の執行に関する通知」などには、その詳細な取組みの趣旨と内容を見ることができます。





2022/04/19

中国の農地制度が質的な転換をし始めたことについて-農地請負資格者に「商工企業等社会資本」を追加-

中国の農地制度の基幹となる法律は「中国農村土地請負法」というものです。2003年に制定されてから15年がたち、この法律を支えるはずの農村の社会基盤が大きく変わりました。

2018年、この法律は質的な転換を図りました。ついに、それまで禁止されていた、農地請負権の資格者に、「商工企業等社会資本」と呼ぶ「資本制企業」を認めることにしたのです。これには資格者としての妥当性を審査する要件を設けましたが、実質的にはこれら資本の農業経営への直接参入を許容したといえましょう。

「中国農村土地請負法」は中国農地制度の脱社会主義化の一歩、農民は耕作の自由の拡大を通じて生産意欲を膨らませ、食料生産の社会的増加に大きく貢献するようになれたのでした。

しかし中国の経済社会の大きな変化・膨張は、やはり農村のあり方を根本から変えました。古い時代に生まれた発想は、時代の変化とともに農地制度をも新しいものに変えざるを得なくなったのです。

同法の社会基盤だった若者は農村から消え、農家世帯は高齢者が占め、若い夫婦は都会に出稼ぎに行き、お金を稼ぎ、生活もレベルや食生活も向上しました。

他方、家族的結びつきの弱体化が進んでしまいました。後継ぎするはずだった子供はみな進学、専門学校や大学へ、卒業後は都会に就職・定住、古い農村基盤が崩れるのは抑えることのできない必然だったのです。

農業の担い手が個人(農民)から企業へ、しかも単なる企業ではなく資本制企業という、利潤を目的とするものへと広げざるを得なくなったのですね。

中国農業はますます資本主義的になり、やがては私的営利企業が農業と農地制度の担い手の中核に成長する可能性が濃厚になってきたように、私には思えます。


この改正にともなって、農地の出し手と受け手が交わす農地請負契約書の書式も変わり、ようやく2021年に、そのひな形も公布されました。中国の農地制度は、またまた大きく質的に変わり始めています。


 

2021/12/10

中国農村家庭は大きく変容しています

中国農村家庭は大きく変わりつつあります。改革開放(1978)から90年ころまで、農村家庭といえば、子供が分家したあとの老夫婦家庭、結婚して独立した若夫婦と子供の家庭、このような核家族が大部分でした。

ところが独立した新家庭の青年夫婦が共稼ぎの形で、農民工として半年連続で、あるいはほぼ常住のような形で、都会で暮らすようになると、農村家庭の構造は一変します。

子供ができた若い夫婦は、夫あるいは妻のいずれかの老夫婦(普通は夫の方)に子供を預け、自分たちだけで都会暮らしをするようになったのです。すると、核家族は徐々に減っていきました。

こうして、形の上では三世代直系同居家庭の形ができてきたのです。「サンドイッチ家庭」などの呼び方もあるようになりました。

子供を農村に残して夫婦だけが都会に出る理由は、そこに本籍がないことには子供の教育、住環境、医療など日常生活に不可欠の行政サービスや仕事を期待通り受けられない面があるからです。子供が幼少の場合には、仕事のため十分な面倒をみれない不安もあります。

しかし医療や子供の教育環境、仕事面での待遇や社会保障が次第に改善され、本籍は農村に残したまま、夫婦と子供は実質的に都会に住むようになっています。

農村に残された老夫婦または独居老人が寂しそうに庭先に腰掛ける姿が見られます。彼らを指して「空き巣老人」などと呼ぶ人もいます。農村の集落の小路を歩くのが好きな私は、どこでも、そのような光景を目にしてきました。

このような農村家庭の変化は、さらにとどまるところを知らないかのようです。

一つは農村家庭の急激な減少です。ピークの2010年には2億6千万戸以上もあったのですが、いまは1億9千万戸、10年間で7千万戸も減少しました。これからも、この趨勢は簡単には止まらないことでしょう。

もう一つは離婚世帯の増加です。都市住民を含む全体の結婚件数は、2010年に1236万件(2472万人)あり、離婚件数は268万件でした。同年中の結婚件数を分母、離婚を分子におくとその比率は21.7%です。

ところが2019年のその比率は51.0%、ほぼ2倍に膨れ上がっています。地域別には、東北部がとくに高く70%を超える高さです。農村家庭の数字は詳しく調べないと分かりませんが、各種の情報を見る限り、おそらく都市住民以上に高いことでしょう。

農村家庭のこのような変化は農村の姿をも変えるでしょうし、農村の土地制度=土地の家庭請負制度の根幹をも脅かしつつあります。これは大変なことです。中国共産党の農村基盤にヒビを入れる可能性があるからです。

しかし、そこのところを察知するのが、さすが、中国政府は抜け目なく早いのです。

最近になって、農村の土地政策は大転換に近い変化を見せ始めたからです。その一つが資本制農業企業経営の農村参入の容認と促進、これら企業形態をもつ生産・加工・流通・販売などの産業集積をおこし、そこに、残った農民を就業させるという政策です。

すると、農地諸権利はこれまで以上に流動化し、その移動先が株式化など近代的な資本形態をとる資本制大規模農業企業・農業関連企業に集まる可能性を展望させます。

中国農業制度はイデオロギーから少しずつ離れ、現実的な再編や新方式の開拓に向かわざるを得ないのです。社会主義イデオロギーで現実を抑えたりコントロールできる時代の終わりの始まりの時代です。これはまさに、中国の喧伝する意味とは異なる「新時代」の到来です。







2020/12/07

農民力学とSDGs

  新潟下越地方の稲作農村生まれの私にとって、中国の農村で、気が付けば故郷の風情を探している自分がいることがしばしばです。意識してこまかく観察すればみな違うのですが、風情という感情を軸にすると、似ているところの方が多いように思います。

 

たとえば、一面がたんぼのあぜ道や大きなむらさき色したナスや赤いトマトがぶら下がった夏の日の村はずれの畑に立った時、そこは新潟の農村の風情と変わるところはほとんどありません。土の色、稲穂が揺れるときかすかに発てる葉のこすりあう音、堆肥をまいたと思われるやや萌えるような鼻をつくにおいなどは、小学生のころ通った通学路で毎日のように触れた感覚と同じです。

 

いまの中国の農村の風情にも、新潟平野と似たところがあって、農繁期ともなればトラクターやコンバインが広い農地を轟音を響かせて行く姿があります。

 

そんな風情が好きなこともあり、中国の農村行脚から離れることはできません。また、ときおり見かける農作業をしている農夫や農婦が腰をやや屈めるようにしている姿は、いまも新潟下越の農村で目にすることがしばしばです。そんな共通点もあるからかもしれません。

 

しかし残念なことに、その農村に行く機会がないままはや一年間が経ってしまいました。そこにはほぼ何も変わらない光景があるのでしょうが、農村のちょっとした食堂で食べる農家料理のことも、農家の暮らしも、一人暮らしのおじいちゃん農民の農業現場の様子も、ともかく中国へいかないことには見ることはできません。

                           

新潟というところに住むと、東京のようになることだけが発展で、土着的なことや伝統的なこと、田舎染みた風情やことば(たとえば方言)をさえ消すことが、あるべき姿という感覚があたりまえのようになりがちでした。

小学生のころ、教室や廊下で、先生の口から盛んに発せられた「標準語をしゃべりなさい」という空虚なことばは、いまでも耳についています。そんなことができるわけがありませんでしたし、当の先生が方言を話していました。

たぶん、これと似たことは中国の農村の学校でも起きているのでしょう。

そうしていながら、新潟の農村も中国の農村もやはり少しずつ、巧みに、たくましく変化し発展していることも見逃さないようにしたいと思っています。内面から変わっていく農民の力学の存在が農村の歴史にもなってきました。そうでなければ、農業という職業も農民という社会的存在も、とうの昔に消えていたにちがいありません。

この力学の持続的発展を守るにはどうすべきかを考えてきましたし、これからもそうしたいと思います。これが私個人にとってのSDGs論でもあります。

2019/06/04

中国農村技術のかたちと今後

中国の農村技術-農産物栽培・保管・加工・出荷、土地管理技術、水利管理技術は今後どうなるのだろうか?現在、日本顔負けの先端技術が登場し、中国の農村自身が驚くほどの発展がみられる。しかし、技術には担い手と開発者がないと発展しない特性がある。技術は社会的なもので、そこから個人的な概念である技能や術(わざ)が派生し、あるいは新しい技術を生み出す役割をになう。

近代、現代にかけて中国の農村技術の担い手と開発者は、長い地主の時代を経て集団(組織)、家庭(個人)と受け継がれてきた。家庭請負責任制が生まれてから、農民にとって増産は所得向上に直結するようになったので、農民自身が「発明の母」の役を演じ、技術開発の先導を担うようになり、食料は一部の農産物を除くとほぼ自給体制を作り上げるうえで貢献した。

農村技術は土地や土と密接に繋がっている。土地制度のあり方、土と農民の心理的・物理的密着度が農村技術の発展とあり方を決めるといっても過言ですらない。

こうみてくると、いま、中国農村で起きていることは技術の担い手と開発者にどんな影響を与えるだろうか?

いま中国で起きていることは、農業を生業として生きる者(純粋な農民)がほぼいなくなったこと、日本の農水省が定義する専業農家に合う農民世帯は皆無だということだ。父母と息子夫婦が専業として農業経営と生計を立てうる者は、中国ではほぼいないし、その存在自体が不可能に近いのだ。

そこで生まれているのが企業の農業参入、合作社による集団農業(供銷合作社と農民専業合作社があり、農民の土地使用権を株式化するなどして出資金に変え、配当として収益の一部を農民に還元、農業経営の大規模化を目指す)、「家庭農場」(家族経営の中国版で規模を自立経営並みを志向)、「新農民農業」(若い学のある非農民による投資的経営-私の言い方では「異星人農民」)などのかたちだ。

彼らは、土地制度と土との関係で新しい関わり方を作り始めた。共通しているのは現在の土地制度を利用し、土地を集めるだけ集める。不要になったら捨てる(だれかに権利を渡す)。

だからいまの土地制度は彼らにとって都合がよい。もともと農民の制度だった家庭請負土地使用権制度は徐々に変節し、農業をやりたい者には解放している。ここは、日本とは大違い。中国の方が自由といえば自由なのだ。

土は地力を吸い取るだけ吸い取って、その後は路地大規模農業から転換し、既存の土地を利用したビニールハウス栽培、植物工場、観光農業、農村遊技場とかあるいは食品加工場とかに進出する。土地改良投資はカネがかかるのでしない。政策も植物工場やコンテナ農場の支援に大きな予算を投じようとしている。露地栽培に、あるいは伝統作物にこだわらない。そこから新しい技術が生まれ出てきている。

土地改良投資や土の機能維持のための投資をしないことは問題であるが、すべてはフローの国中国。これがストック重視の日本だと稲作農家は何代も米にこだわり、キャベツ農家はキャベツ以外は作らない。他のものができないストック投資方式から出られないからだ。

中国の農村技術はますます自由に発展する可能性がある。