世界には1,600種のネズミがいるという。ネズミと言っても「いえネズミ」、「野ネズミ」、「草原ネズミ」など、生態によって異なる。ただ、雑食だが、どちらかというと穀物や植物の根や茎など、それぞれ好みがある点でも共通する。
写真は青海省の三江源近くのネズミとその穴(筆者が、待つこと30分して撮影)。
世界には1,600種のネズミがいるという。ネズミと言っても「いえネズミ」、「野ネズミ」、「草原ネズミ」など、生態によって異なる。ただ、雑食だが、どちらかというと穀物や植物の根や茎など、それぞれ好みがある点でも共通する。
写真は青海省の三江源近くのネズミとその穴(筆者が、待つこと30分して撮影)。
日本では米の流通量が不足して、価格の高騰を招いていますが、世界最大の米の消費国家である中国はどんな様子なのでしょうか?
日本の米流通は、江戸時代から、船場や「相場」という言葉が米の取り引き(堂島米会所)が盛んだった大阪で生まれたことに象徴されるように、米は日本最古の市場取引物資だったのですね。全国の津々浦から米を吸い上げ、大阪に集めたのですか、その仕組みの複雑さと堅牢さは、他の商品にくらべ抜きん出ていました。
その基本的な仕組みは現代まで引き継がれ、それが柔軟さに欠ける要因にもなっているのではないでしょうか?日本の米流通は、昔の仕組みを引きずっているのかもしれません。
さて、中国ですが日本とまったく事情が異なって、米に歴史的な形と言うものがありません。旧い流通システムは、共産党が破壊してしまって、消費生協のような供銷合作社という名の商店のような組織を全国津々浦の消費地に配置して、国家統制的な流通を展開してきたのです。
しかし、これもいまや過去の話し。
米はO2O流通が主流に
中国人は、世界でもっとも新しもの好きといえると思うのですが、いまや、消費者が買う米はO2O、オンラインto オフライン 、スマホでECのプラットフォームに注文すると、30分以内に注文主の自宅に届く、という方法が都市の流行、流行というか、買い物の仕方として定着しているのです。
この30分、というのが勝負なのです。注文から30分以内に届けないと、この注文主から、次の注文はありません。
オンラインというのは、スマホで注文、オフラインというのは注文した米を現物で手にする、という意味で、O2Oの 2はtoすなわち両者をつなぐ、という意味ですね。
ただし、オフラインには二つのパターンがあります。
いまの例のように、30分という短い時間内に注文主に届ける、という方パターンと、注文主が注文した米をスーパーとか米やさんの実店舗に取りに行くというパターンです。
いまは、バイク便のような配達が人気です。
生産された米はどこへ行くのか?
農家が生産した米には、3つの流通ルートがあります。以下は、そのうちの2つについて焦点を当てましょう。残るもう1つは、政府備蓄米としての販売ですが、今回は捨象します。
●伝統的な多段階流通ルート
比較的小規模農家(中国の大部分がこれです)が「米販子」と呼ばれる米集荷人(ブローカーですね)が村単位で米を買い取ります。
米販子は、集荷した米を農民専業合作社(短粒種の一大産地となった五常大米合作社などは有名です)へ売り渡します。
その後、地域にある、けっこう広域的な産地卸売市場に集められ、精米工場へ回されます。米は、ここまでは玄米の状態です。
そして精米工場で精米され、等級化され、都市の消費卸売り市場(北京ですと、有名な新発地卸売市場が有名ですね。二三度行きましたが、ここは非常に大きい市場です。)へ回されます。
精米されていますから、消費はのんびりできません。しかし、このとき、スーパーや米の小売店に行くことがおおむね決まっていますから、問題はありません。
●ECルート
これには、少なくとも3つのパターンがあります。
(1)合作社ルート:
農家から農民専業合作社等に集荷されます。集荷された米(玄米)はひとまず、ここでストックされます。
消費地近郊の倉庫へ移動、適量を精米します。
次に、ECプラットフォーム(ウイチャット、抖音小店など)を経由して、注文が来ますと、出荷です。
(2)O2O生鮮ルート
農家から美団などの産地EC倉庫へ輸送します。
次いで、都市消費地の拠点倉庫へ。一定量を精米保管。
注文が来ると、30分以内に配達します。
(3)企業契約栽培ルート
企業が稲作農家と栽培の契約を結びます。
収穫後、米は、玄米のまま農家から消費地近郊倉庫に輸送され、そこで保管されます。
そこで、一定量の精米を確保し保管します。
京東などの予約サイト注文を受けて、米は注文主に配達されます。
消費者は、QRコードから、注文した米の生産者がどのような人で、どのように栽培されたかを知ることができます(トレーサビリティ)。
これらにさまざまなバリエーションが加わる、豊富なルートが形成されています。
ますます中国の米流通は合理化され、消費者サービスの向上がはかられつつあります。いったいどこまで、発展するのでしょうか?
中国は大規模農業経営の発展をめざして、奮闘中です。これには、5つの柱があります。
1,資本制企業がリードする。
2,AIスマート+大型機械化農業を展開する。
3,遺伝子組み換え農産物+ゲノム編集農産物を全面解禁する。
4,農業生産コストを下げる。
5,食料自給率を上げる。
1,中国農業のアキレス腱は規模が小さく、若者が減っているのが現状です。零細な経営規模を変えずに、労働集約的な農業が中心にしていたのでは、この先、食料の安定的確保はできないことに、政府は気づいています。そこで、頼りにするのが資本制農業です。もう、中国農業は社会主義の体面を気にしていてはどうにもならないことになっているのです。
すでに、各地で、資本制農業が浸透し、広がっています。これには中国鉄道集団など従来、農業には関心が薄かった異業種も参入し始めています。
2,スマート農業にはAIを組み込んだ完全自動化、GPSによる施肥・農薬散布、栽培管理・収穫予想などを進めています。これで農場の規模が大きいことが、さらにプラスになると見込んでいます。
3,遺伝子組み換えについて、拒否反応がまだ残っています。しかし、アメリカやブラジルから輸入する大豆や飼料はほとんどが遺伝子組み換え作物です。政府は、その事実を徐々に公開し、消費者の遺伝子組み換えアレルギーの希薄化を進めています。
あわせて、中国が得意なゲノム編集農産物が成長をしています。こちらについては、遺伝子組み換え農産物とはちがい安全なので、政府はなんの躊躇もありません。
コメ、トウモロコシ、大豆、小麦をはじめ、多くの農産物の遺伝子組み換えの生産をはじめ、商業化がすすめられ、昨年12月末、農業部が許可を出しました。
4,生産コストを下げることは、中国農業の喫緊の課題です。主要国でコストが高く、したがって国際競争力に劣る国の二番目が中国です。 一番目? もち、わが日本です。
いま中国農業は、旧い毛沢東型の何でもいい農家寄せ集め型農業から変貌しつつあるのです。まだまだ、改善すべきことは山ほどありそうですが、日本よりは早いスピードで近代化が進んでいます。ネックは、土地制度!!!! これもいずれは変わって行くでしょう。
5,中国の食料自給率は70%台に低下しています。国家発展改革委員会のある人も、そのくらいだと公言したようです。
わたしは、何もしなければ、これから、もっと低下すると見ています。遺伝子組み換えやゲノム編集食料に力を入れる理由は、ただひとつ、食料自給率をこれ以上下げない、できれば上げることにあります。
ここ数年、中国を異常気象が襲うようになっている。しかも、ますます過激になっている
のだ。それを指して、ここでは暫定的に「超異常気象」と言う。まだ、「超常」といえる
ほどではないので、やや控えめな表現にとどめたつもりである。
国土を南北に分ける境界を揚子江とすると、北へ行くほど干ばつ、南へ行くほど洪水と、
両極端の気象が続いている。添付した画像は、2024年6月24日の中国国土の衛星写真だ。
やや見えにくいが、画像の下部は中国南部。厚い雲で覆われて国境線も見えにくい。上部は茶色の土が丸見えで、乾燥している様子が手に取るようにわかる。そのやや上部は東北地方の一部だが、やや雲がかかっている。しかし、この地方、今年も干ばつの恐れがあると、政府自身が伝えている。
最近の南部は洪水がつづき、桂林上流の桂林江付近では堤防をこえて氾濫し、史上最大の洪水になったという。なんと、同江の水位は一時146メートルにも達したらしい。6月20日18時時点の桂江全域で、警戒水位を超えたという(水利部、6.20)。
また、広西自治区を流れる西江でも洪水が発生、河川は警戒水位を約6メートル上回る24メートルに達したらしい(中国水利部、2024.6.21)。
広西自治区や近くの広東省は米、サトウキビ、豆類、露地野菜、果物の産地である。洪水が起きても、中国政府は農産物の被害状況を報道することはない。洪水の映像も街中の様子を放映するだけで、農産物や農村の様子を伝えることはまれにしかない。
だから、農産物の被害状況を具体的に知ることはほぼ不可能である。
一方、北部は相変わらず水不足でカラカラだ。雨は降るには降るが、人工降雨依存、満足できる状態ではない。
そこで始めた取り組みが節水品種と節水農業の普及だ。ソルガムやキビなど畜産物の飼料や一部は食用加工品にまわす雑穀だが、干ばつ耐性品種を植えると10アール当たり90立方メートルの水が節約できる。
あるところでは、冬小麦の作付けを休耕、その結果節約できた地下水をトウモロコシ、油脂作物、雑穀などの栽培に振り向け、地下水を90%節約できたという。少雨の影響は地下水の減少を招き、穀物の減反も引き起こすから深刻だ。
(衛星画像:中国気象局)
中国政府は昨年末から今年の初めに、2023年の食糧生産の実績をかなりこまかく発表しました。
まず発表どおりの内容をかいつまんでお知らせします。
作付面積:1億1900万5000ヘクタール
収穫量:6億9541万トン
収穫量の増加率:1.3%
1ヘクタール当たり収穫量:5.843トン(10アール当たり584.3キログラム)
収穫増加量(2022年比):888万トン
作付増加面積(同) :636,432ヘクタール
1ヘクタール当たり収穫量:13.95トン(10アール当たり1395キログラム)
これが事実であれば、なんと!!!、新しく増えた作付面積についての新しく増えた収穫量(増加土地生産性)(1395kg/10アール)は、従来の作付け面積全体の収穫量(土地生産性)(584.3kg/10アール)の2.38倍!ということになります。常識では考えられないことです。
新しく増えた作付面積についての収穫量の増え方が従来の増え方と同じとすると、収穫量の増加は888万トンではなくて、約372万トン(5.843×636,432)のはずでしょう。
もし収穫量の増加が372万トンにとどまるとしたら、2023年の収穫量の増加率は1.3%ではなく自動的に、0.55%に下がることになります。
中国の4大穀物の収穫量の前年比は、米:マイナス0.9%、小麦:マイナス0.8%、トウモロコシ:プラス4.2%、大豆:プラス2.8%でした。
収穫量が最大の穀物はトウモロコシ、近年、増え方も大きくなっています。その理由は簡単です。飼料として需要が高まるトウモロコシの収穫量を増やすことは、需要が増える畜産物の輸入を抑え、国内生産を増やすことができるからです。
米と小麦の収穫量をトウモロコシに回した、ということですね。
国家経営的な目から見ると、価格の高い畜産物の輸入を、それにくらべて価格の安いコメと小麦の輸入に代えた方が得、ということでしょう。トウモロコシの価格は?、米や小麦よりさらに安いのです。なので、中国はトウモロコシの輸入量もけっこうなものです。
ますますおいしい畜産物の消費が増えるはずですので、中国の今後は、畜産物を軸として米、小麦、トウモロコシ、大豆が作付け・貿易の調整が行われていくでしょう。というのは、もう国内には適当な農地資源がありません。農民が増えることもありません。10年先の中国農村は日本の10年前の農村を鏡で写すと分かりやすいかもしれません。
今年の中国大陸は気象危機に見舞われている様子が伝わってくる。
農業農村部は8月8日、被害の深刻な河南省安陽市で現地「秋穀物重大病虫防除」会議を開催、現下の情勢について視察し対策を協議したと、同部は広報していた。
とくに被害の大きな安徽省の6市21県、河南省11市60県ではヨトウムシ、ワタキバガ、イネヨトウ(写真)が大発生、トウモロコシ,イネ,大豆、落花生に大量の産卵がみられ、その防除に取り組み始めたところらしい。ニカメイガは昨年の同じころにも発生したので、今年は多くの種類の作物の難敵である害虫が発生したことになる。
そんなことから「害虫の口から穀物奪取せよ」という合言葉が流行しているそうな。
台風の影響は広範に及んでいる。
北京、天津、河北、山西、内モンゴル、吉林、黒竜江、浙江、福建。
心配なのは今年の作柄である。
政府は災害復旧に乗り出しているが、台風5号までの高温と豪雨被害の影響もあり、今後の成り行きが懸念されている。
そのサイトから拝借した左の2つの図の上は、6月26日の全国の気温上場をあらわし、下は降雨の様子をあらわしたものだ。
下の図からは南部のコメ作地帯が強い降雨に覆われている様子をうかがうことができると思う。
このような、北の高温、南の降雨という現象はここ数年のように起きているものだが、今年は、北の高温、南の降雨という二極化が鮮明になり、それが毎日のように続いていることが過去にないことになっている。
南部の降雨は日本列島に居座る梅雨前線の一体化している点も、ここ数年の特徴といえば特徴なのである。
中国農業の専門家なら「三夏」という言葉を知らない者はいない。陰暦の四月を猛夏、5月を夏の中盤、6月を夏そのもの、といったような意味だが、農業では収穫、播種、栽培管理の区分として使われることもある。「三つの夏」を三年という意味で使うこともある。
いま、今年の三夏を豊作を実現しながらどう乗り切るか、という点に農業農村部も気象局もやっきの様子が伝わってくる。
全体の収量の3割程度の冬穀物(前年の冬の前に播種し、夏まえに収穫期を迎える穀物)の収穫の約7割を超えたいまであるが、豊作の声はあまり聞こえてこないが、もう少し様子をみてみようと思うこの頃である。そのうち、続きをおしらせしたいと思う。
コロナ禍で減少していた2021年の農民工(主に住民登録のある故郷から離れて、6か月以上都会に住んで、農業以外の仕事に就く農民=出稼ぎ農民)の数が、なんと2億9千万人に上ったと、中国国家統計局が発表した(昨年)。
これも同じ国家統計局のデータだが、農業等就業人口(正確には第一次産業就業人口)が1億7千万人しかいないのに、出稼ぎ農民がそれよりも1億人以上も多いというのはおかしいことだが、両方を合わせると4億6千万人、幼児や学童を含む農村人口が5億人しかいないのだから、この数はどうみても理屈に合わないところがある。
この点はともかく、農民工が2億9千万人もいるという点に焦点を当てると、性別は男性が64%、女性は36%、未婚者17%、既婚者80%、死別者3%という。
この大量の農民工、短くても半年以上のあいだ農村や農業現場から離れるわけだから、実質的には離農・半離農に等しくはないだろうか。
農村に残って農業に従事する者が最大でさきほどの1億7千万人、実際は漁業や林業従事者も含まれるので、本当に農業中心の農民は1億7千万人ではなく、1億人2千万人程度と思われる。
農民の2億9千万人は農業から事実上離れているとすると、中国1億2千万ヘクタールの農地は1億2千万人ほどの者が耕している可能性があり、だとすると1人当たりでは1ヘクタールということになる。
農地は二期作とか二毛作とかとして利用されるので、耕地面積は増える。統計によると、中国では1億7千万ヘクタールに達するので、1人当たりでは1.4ヘクタールという勘定になるではないか! 多い!
中国の農業の特徴は「多人地少」、人口が多くして土地は少なし、といわれているが、実態は、農民少なくして農地多し、なのではないかと思うこの頃である。
地球レベルの天候異変から、今年の穀物生産量がどうなるかに世界の注目が集まっています。穀物生産が天候と深いかかわりがあることは常識です。
氷河の雪が溶け、北極の気温が30度を超える日が続き、世界中で、高温と洪水が同時多発的に起きているのが今年の現実です。
その顕著な例が、いま、中国各地で起きているのです。中国ではこれから秋の本格的な穀物の収穫時期を迎えます。中国で年間生産される穀物の70~80%は秋以降の収穫が占めますので、その生産量の大小は、9月以降にならないと全容が判明しません。
ですから、いまの段階で今年の穀物生産量が平年作にくらべて多いか少ないかを決めつけることはできません。
しかしですね、この春からずーーと中国の天候の推移を見てきた自分としては、異変が起きている、と直感することがあまりにも多過ぎました。
この点は中国気象局がネットで毎日発表する天候情報、日本の気象庁が発表する天気図や衛星写真に写る雲の流れなどを見ると、素人目に見ても感じ取れることです。
中日新聞WEBのコラムにも最近書いたことですが、たとえば、高温。8年間(2015-2022年8月まで)毎日の気温を記録した湖南省長沙市の気温を8年間のうち前の4年間と後ろの4年間の毎日の気温の平均(同じ日の4年平均)で比べると、最近4年間の7月~8月の気温は、その前の4年間よりも3度以上上がって、40度近くに達していることが分かりました。わずか4年の間に、3度も上昇したことになります。
高温は大地と河川・湖沼の乾燥を招き、水位が低下した長江の川底から約600年前に作られたとみられる仏像が3体姿を現したり、最大の淡水湖の鄱阳湖(日本語読みで「ぽようこ」:中国語で「ポヤンフ」)が干上がったり、かといえば年間300ミリ程度しか雨の降らない内モンゴルや水田地帯の江西など南方では大洪水が発生したり、自然災害の発生を聞かない日がないほどです。
そのために水田が干上がり、他方では水田や畑が流されています。この被災は局地的なものでもなければ、一過性のものではないことが深刻なことです。
2021年の統計によると、中国の生産量はコメ(玄米)1億4260万トン、小麦1憶3694万トン、トウモロコシ2億7255万トン、合計5億5209万トンでした。
私の予測では少なく見積もって600から1000万トンは減収になるのではないか、と見られます。この数字は、パーセントにして1.1から1.8パーセントのマイナスに相当します。
今年は5年に一度の共産党大会(10月)が開催される予定、習政権の延長がほぼ間違いないともいわれています。中国当局にとって、このお祝いごとに泥をかけることは絶対に避けなければなりません。
残された一か月の間に中国のコメさん、小麦さん、トウモロコシさんはどれだけ「頑張る」ことができるでしょうか?
中国の農地制度の基幹となる法律は「中国農村土地請負法」というものです。2003年に制定されてから15年がたち、この法律を支えるはずの農村の社会基盤が大きく変わりました。
2018年、この法律は質的な転換を図りました。ついに、それまで禁止されていた、農地請負権の資格者に、「商工企業等社会資本」と呼ぶ「資本制企業」を認めることにしたのです。これには資格者としての妥当性を審査する要件を設けましたが、実質的にはこれら資本の農業経営への直接参入を許容したといえましょう。
「中国農村土地請負法」は中国農地制度の脱社会主義化の一歩、農民は耕作の自由の拡大を通じて生産意欲を膨らませ、食料生産の社会的増加に大きく貢献するようになれたのでした。
しかし中国の経済社会の大きな変化・膨張は、やはり農村のあり方を根本から変えました。古い時代に生まれた発想は、時代の変化とともに農地制度をも新しいものに変えざるを得なくなったのです。
同法の社会基盤だった若者は農村から消え、農家世帯は高齢者が占め、若い夫婦は都会に出稼ぎに行き、お金を稼ぎ、生活もレベルや食生活も向上しました。
他方、家族的結びつきの弱体化が進んでしまいました。後継ぎするはずだった子供はみな進学、専門学校や大学へ、卒業後は都会に就職・定住、古い農村基盤が崩れるのは抑えることのできない必然だったのです。
農業の担い手が個人(農民)から企業へ、しかも単なる企業ではなく資本制企業という、利潤を目的とするものへと広げざるを得なくなったのですね。
中国農業はますます資本主義的になり、やがては私的営利企業が農業と農地制度の担い手の中核に成長する可能性が濃厚になってきたように、私には思えます。
この改正にともなって、農地の出し手と受け手が交わす農地請負契約書の書式も変わり、ようやく2021年に、そのひな形も公布されました。中国の農地制度は、またまた大きく質的に変わり始めています。
このほど発表した中国の農業農村部情報によると中国全体の法人登記済の農民合作社数は221万9千社に上ったといいます。一合作社当たりの正式メンバー(日本のJAに例えれば正組合員=農民)は245人ですから、とても小さいですね。だから、数が多いということでしょう。
メンバーの総数は5億4400万人ですが、中国の農民合作社は総合経営を行う日本のJAとはちがい、大部分が専業農協のような単一経営体です。農業機械合作社(農機共同利用)、リンゴ合作社、信用合作社、野菜合作社等々。ですから、一人の農民が複数の合作社に加入することは少なくありませんから、この5億4400万人には同じ農民が複数数えられていますので、実質は、こんなに多くはありません。
このメンバー以外、おもしろいことに日本のJAの准組合員に似た「非メンバー農民」という制度があり、その数が一合作社当たりなんと778戸もあるというのです。正式メンバー数の3倍にもなります。しかも日本のJAの准組合員は原則的に非農家で=地域住民ですが、中国の農民合作社の場合は農民なのです。
その理由は比較的単純です。規則どおりに、出資金を払っていないが合作社を利用することが許される農民がいるということなのです。
日本ではとても許されないことですが、そこは弾力的というかルーズというか、いかにも中国農村らしい点が滲み出ています。
日本のJAは農民全戸加入の慣習があり例外なく出資金を払い込み、みな「持分」というJAの区分所有者権利を与えられますが、中国の農民合作社もこの点は変わりません。
課題の一つは、JAのような総合経営体になることですが、経営の核になる事業が見つかりにくいこともあり、スムーズにはいかないでしょう。中国なりの発展をすれば十分ではないかと私には思えます。
最近、中国は世界の5大穀物の新規在庫増の約半分を占めています。日経新聞2021年
12月19日日曜版は、この問題を一面トップに掲載しました。見出しがこの記事の概要をそのまま言い表しています。
ここに、求められたコメントをしました。全国紙の中で、最も中国農業に詳しい記者を擁するのは日経だと思います。各地に記者がおり、筆者がしばしば電話話しをする在中国のお二人の記者は本当に詳しいです。在中国のNHK記者の中にも詳しい記者がいます。
新型コロナが落ち着いたら、現地農村で、彼らと中国農業について話し合いたいと思っています。
ついに、水までも先物商品取引所の投機対象になりました。
去年の12月7日、初日の取引価格は496ドル/1エーカー・フット。日本人の中に1エーカー・フットとは何のことかを知っている人は少ないと思います。私にもさっぱり分かりません。
欧米の単位は複雑で、日本人は混乱したり大きなミスをおかしたり・・・・・。たとえば麦やトウモロコシの量の単位に「ブッシェル」というのがありますが、大豆、麦、トウモロコシ、それぞれブッシェルを使うのですが、実はそれぞれ、中身が違います。
つまり、大豆1ブッシェルと麦1ブッシェルは、単位の呼び方は同じでも重さが全く違うのです。大豆1キログラムと麦1キログラムは同じですので、分かりやすくていいですよね。
さて、水の単位、日本では立方メートル(㎥)やリットル(ℓ)を使いますが、アメリカなどでは、このエーカー・フットという単位を使うのが一般的のようです。調べてみました。高さ1フィート、面積1エーカーの箱のことです。
1フィートは30.48センチ、1エーカーは63.6メートル四方。この箱1杯の水を1エーカー・フットと呼ぶのだそうです。これをリットルに換算すると1,233,482ℓだそうです。さっぱり見当がつきません。大体ですが畔の高さが30センチくらい、面積40アールほどの田んぼを想像するとイメージがわきそうです。
ついでに、では、なぜ1エーカー・フットが水価格の単位になったかというと、カリフォルニアの一般世帯が1年間で消費する水の量を平均すると、大体1エーカー・フットなのだそうです。なんだか後付けのような気もしないではありませんが、そういう説明を見つけたのです。
さて、水の先物取引を始めたところはナスダック・ベルズ・カリフォルニア・水先物インデックス(NASDAQ VELES CALIFORNIA WATER INDEX FUTURE)というボードです。取引名は分かりやすいH2O。
初日の価格は496ドル(0.4セント/ℓ)、取引参加者は期待ほどにはいなかったようです。
まえから気になっていたこともあり、ナスダックの該当情報に入り込んで、最近の相場を見てみました。
先物ですから限月(将来の決済月数または何か月後の価格を売買するか)が必要ですが、ひと月、ふた月、三月、五月、七月、九月・・・24か月辺りまでとなっておるようです。
そこで、直近の価格ですが、限月ひと月もの857ドル、2年先もの993ドル、この二つに挟まる期間は、先になるほど上昇するようです。
先物取引の初日のほぼ倍に上昇しています。
水は有限な資源であることはどなたも知っています。海には計りきれない量の水があるのに有限、とは理解しがたいことのように聞こえますが、人類が使える水は南極圏と北極圏を除く陸地にある水と雨ですからほぼ固定的です。
一方、ウオーター・フットプリントの観点から、コメ1kg生産には3,400ℓ、牛肉1kgには15,500ℓの水が、工業用品も生活用水も負けず劣らずの水が必要ですので、人口が増え、生活レベルが上がると、水は足らなくなることは目に見えています。
水にはすでに価格がついています。1立方メートル当たり、生活用水を例にとると、東京は下水道料金抜きで22円(基本料金を除く)、中国は2・8元(約45円:水道水)です。
両国とも、水価格は上昇傾向にあります。価格には取水・給水・設備費などのコストがかかり、純粋な水価格の比較はできないのですが、上昇傾向にあることは否定できません。
おそらく、人類全体にとって、水はますます貴重なものになっていくことでしょう。水の先物取引所の開設はこの点が背景にあります。はたして、人類の水の適正な使用に効果があるのかどうかは不明です。水が、たんなる投機の対象にならないことを願いましょう。
もしそんなことが起きれば、やがて空気さえ、先物取引の材料として上場されないとも限りません。
中国に行った際に普通の農民と接しているときに感じることだが、自分たちが政治制度上は社会主義といわれる国に住んでいることをどれくらい自覚し、本来の社会主義なるものをどれくらい理解しているのかとなると、ほとんど乏しい。ほとんどの農民にとり、中国の社会主義制度は、実はあまり重要なものではなくなってきているのではあるまいか。
むしろ、生き方を心得た人間としても、農業人としても優秀な方であると思う。若い頃、中国以外の国、アメリカ、豪州、東南アジア、東西の欧州諸国や日本全国すべての都道府県の農村調査をした経験からいうと、この点は、どこもほぼ同じである。
農業人としても優秀、という点は、農業に素人な筆者や都会人ではとうてい知り得ないしできないことを身に付けており、それを理解し、日々、技術や技能を発見し更新し、それを全身に上書きする能力の持ち主なのである。
彼らが身に付けている農業技術や技能は、地主や貴族あるいは王族が農民に教え伝えてきたものではない。彼らは、何も知らないのだから教えようもない。みな、あるものは仲間から、あるものは自分の経験と努力からうまれ、改良してきたものだ。
では、実態はどうであろうか?
農業部門に限定して、いまの中国に照らして確認すると、そこには優れた点と問題点とが併存している。
(1)上述した農民自身の努力以外に、品種、基盤整備、栽培・飼養、収穫、保管などの新農業技術開発と普及に、資金、頭脳の国家的集中投資が行われ、多くの国際特許権を獲得しているほどだ。
その結果、農業参入を行う農外企業が増え、しかも数百、数千ヘクタールの農業経営企業を輩出した。
2、問題点
(1)現在の農地所有は制度的には(集体)集団経済所有制で、定義的には、農民の農地はそこからの借地である。
農地の所有制度なぜこうした制度になっているか、といえば土地は憲法で全人民所有制(公有、国有)とされているからで、なぜそうしたのかといえば、社会主義制度の国だからと、卵と鶏の順番争いのようになる。
社会主義の指導者であり実権掌握者は党だから、実際は、農地を含む中国のすべての土地は見方を変えれば「党有」とも呼べる。つまり農民は、党から借地をしているともいえる。
これら私有資産の隊列に土地が加わったところで、中国の体制に影響するところはまずないであろう。つまり政治の社会主義や共産党一党支配という実務的制度と所有制度は相対的なものであり、分離してよいと思うのである。社会主義イコール土地公有というのは、観念論に過ぎないともいえる。社会主義の国にも私有制度は成立しうる。
中国で食べるコメの味はお世辞にも、良いとは言えないと思うのは、日本人だけかもしれません。昔の日本米は日本晴れという品種に代表されるように、味より量、少しでも収量の高いコメが優れた品種とされてきました。
ところがいまや、日本米はブランド勝負、つまりは味勝負の時代になりました。スーパーで売られているコメはほぼブランド米か、有名な優良品種だけとなりました。
高いのは新潟県の南魚沼産の無洗米コシヒカリ、無洗米北海道産ななつぼし、山形産のつやひめ、岩手産ひとめぼれなどですが、私は新潟県の岩船産コシヒカリも相当なものだと思います。故郷の近くということもあるかもしれませんが、残念ながら、私の生まれ故郷の中条産はあまり有名ではありません。おいしさにかけては岩船産にも負けてはいないのですが。
では中国のブランド米にはどんなものがあるでしょうか?
河南省原陽米、吉林舒欄米、黒竜江省五常米、遼寧省柳林貢米、河南省原陽米、その他いくらでもあります。ただし、ブランド米を全国統一的に規格化し、消費者に対する威厳ある組織によるものではなく、かなり勝手で宣伝的な要素が強いブランド化ですので、公平といえるかどうかは疑問です。
もう一つ日本とはちがって、中国米独特の留意が必要な点があります。それは、中国ではコメと一口でいっても、ジャポニカ系(主に東北産の日本米と同系統の単粒種)とインディカ系(タイ米など長粒種)があり、それぞれにブランド化されている点です。消費量はほぼ同量ですが、インディカ産は主に中国の南方産です。輸入量が多いのもこの品種です。
私は長粒種の香りとさらさら感もスキですが、やはり、ご飯といえば単粒種です。かなりおいしい品種、日本のコシヒカリ系の色つやがよく粘り感がありやや甘みのある品種もありますが、末端価格は1キロ12元~13元、一般米の二倍以上はします。
ところが、味という点になりますと、日本人独特の好みを基準としますと、やはり、まだまだというところです。では、日本人の好みはガラケー並みかというとそうでもなく、日本で食べたコシヒカリの味は、中国人も、やはりおいしいと喜んでくれます。
おそらく、中国でも日本のコメのような味を求める動きが急速に進むと思われます。ご飯におかずを乗せたりかけたりすると、コメの味はきえてしまいます。余談ですが、日本の丼物、たとえば牛丼、かき揚げ丼など、汁物が混ざった丼物に使われるコメは古米、古古米が多いと聞きます。コメの味よりも肉とか天ぷらとかの味の方が勝ってしまいますから。高級丼物、たとえばうな重などは、コメもおいしいですよね。なぜかというと、うな重とコメは味のハーモニーを奏でますので、片方がまずいと全体が台無しです。
中国本来の料理に丼物は多分無いと思いますが、店物ですと、最近は日本風の丼飯は大流行です。習慣的に白いご飯の上におかずを乗せて、両方を混ぜながら香りを嗅ぎながら、箸で喉に送り込む食べ方もありますが・・・・・。
おいしいコメの味嗜好が広がっていくと、コメのブランド化と価格の多層化は一層進み、おいしいコメを作る農家の所得が上がる日本のようになると、頑張った農家にとっては励みになるに違いありません。
追伸:『無洗米』は日本の発明ですが、読んで字のごとく洗う面倒のないコメのことくらいはご存じでしょうが、その誕生秘話について、いずれお話ししましょう。
新潟下越地方の稲作農村生まれの私にとって、中国の農村で、気が付けば故郷の風情を探している自分がいることがしばしばです。意識してこまかく観察すればみな違うのですが、風情という感情を軸にすると、似ているところの方が多いように思います。
たとえば、一面がたんぼのあぜ道や大きなむらさき色したナスや赤いトマトがぶら下がった夏の日の村はずれの畑に立った時、そこは新潟の農村の風情と変わるところはほとんどありません。土の色、稲穂が揺れるときかすかに発てる葉のこすりあう音、堆肥をまいたと思われるやや萌えるような鼻をつくにおいなどは、小学生のころ通った通学路で毎日のように触れた感覚と同じです。
いまの中国の農村の風情にも、新潟平野と似たところがあって、農繁期ともなればトラクターやコンバインが広い農地を轟音を響かせて行く姿があります。
そんな風情が好きなこともあり、中国の農村行脚から離れることはできません。また、ときおり見かける農作業をしている農夫や農婦が腰をやや屈めるようにしている姿は、いまも新潟下越の農村で目にすることがしばしばです。そんな共通点もあるからかもしれません。
しかし残念なことに、その農村に行く機会がないままはや一年間が経ってしまいました。そこにはほぼ何も変わらない光景があるのでしょうが、農村のちょっとした食堂で食べる農家料理のことも、農家の暮らしも、一人暮らしのおじいちゃん農民の農業現場の様子も、ともかく中国へいかないことには見ることはできません。
新潟というところに住むと、東京のようになることだけが発展で、土着的なことや伝統的なこと、田舎染みた風情やことば(たとえば方言)をさえ消すことが、あるべき姿という感覚があたりまえのようになりがちでした。
小学生のころ、教室や廊下で、先生の口から盛んに発せられた「標準語をしゃべりなさい」という空虚なことばは、いまでも耳についています。そんなことができるわけがありませんでしたし、当の先生が方言を話していました。
たぶん、これと似たことは中国の農村の学校でも起きているのでしょう。
そうしていながら、新潟の農村も中国の農村もやはり少しずつ、巧みに、たくましく変化し発展していることも見逃さないようにしたいと思っています。内面から変わっていく農民の力学の存在が農村の歴史にもなってきました。そうでなければ、農業という職業も農民という社会的存在も、とうの昔に消えていたにちがいありません。
この力学の持続的発展を守るにはどうすべきかを考えてきましたし、これからもそうしたいと思います。これが私個人にとってのSDGs論でもあります。