2019/09/05

孤高の農家の話し。江西省富山郷にて。2019年8月22日


江西省農村は初めて行ったところです。上海から高鉄で約4時間乗ると、省都の南昌市があります。車窓に広がる田園地帯を眺めながら、区画整理がまったくといっていいほど手付かずの状態です。このあたりは中国南方の伝統的稲作地帯ですから、もっと基盤整備ができていて当然だと思ったのですが・・・・。
 作っているコメは長粒種です。水田のイネの茎の長さも、作られているコメ品種の特徴をよく表しています。
 この地方では中国で流転という農地流動化が極端に進んでいて、訪ねた農家のほとんどは近くの工業団地勤務、農業は自家消費用の野菜を作るくらいのものです。月収を聞くと5,000~6,000元(9万円と少し)。でもみな乗用車を持っていて、大都会周辺の農家よりその割合はずっと高いです。この月収でよく買えるねと聞くと、農産物は買う必要がないし、夫婦で働くので買えるのだ、といいます。

 気温が40度はあろうかと思われるなか、村内を散歩しながら、畑と家々の作りなどを観察しました。畑の広さは家庭菜園程度、栽培されている野菜はナス、サトイモ、インゲン、キュウリ、トマト、名も知らぬ緑色野菜と、賑やかです。家々は中国農村のどこでも見ることができるつくりで、特徴はありませんがつくりは丈夫です。家並みから、経済的に貧しいとか豊かだとかという判断はできませんでした。
 
 村の農家から農地を100ムー(約6.7ヘクタール)も集めていると村人が教えてくれた人が、水田を案内してくれました。あぜ道は狭くてでこぼこ、チャーターしたミニバンの運転手さんは、揺れるハンドルを握りながら「行けない」「危ない」「この先は無理だ」とさかんに文句をいいながら運転します。私の隣の席にいた100ムーの農家は、私たちと飲んだ昼のアルコールが残っているらしく半分酔った口調で、「いつも収穫したコメを積んで、この道を走っている」「この道で行けないところはない」(わたしには理解できない方言でそう言ったそうです。通訳してくれたのは江西出身で、いまは大阪の大学で働く友人です)と、反論。ついに、水田の奥まで私たちを運んでくれたのです。
 あとはクルマを降りて、水田観察です。そのときのスナップが、上二枚の写真です。
出穂期を迎え、水を求めるイネに、小さな用水路から水を田に引こうとした写真です。草ぼうぼうで、隠れてしまった取水溝を手でまさぐりながら探し出して、水を田内に流し込みます。
 イネの生育はどうかというと、まっすぐ、力強く伸びています。きっと、ことしも豊作でしょう。

 水田に行くとほぼ必ずと言ってよいほど、観察するものがわたしにはあります。生育状況は言うまでもありません。
①草刈りができているか?
②イネを水平に眺め、イネ先は水平か、線から抜け出したような雑草はないか?
③用排水路がきれいに保たれているか?
④どんな農薬を撒いているか(かならず、空き容器や袋類があぜ道などに落ちている)?

 これらについて、やはり、100ムーおじさんの水田でも観察しました。

 さてこの人に、もし政府がいま耕している水田を返せと言ってきたらどうするつもりか、聞いてみました。こたえは、「もちろん返せと言われた水田は全部返す。あとは年金で暮らす。」でした。
 そのこたえが本心からでたものかどうかは分かりませんが、とても従順な人だと思いながら、そんな日が来ないことを願っているのだろうなと推し量りつつ、真夏の太陽が照り付ける緑一色の水田を後にしたのでした。